本年度はアリストテレス『自然学』第8巻を軸として調査を進めたが、主な進展として次の2つを挙げることができる。1)アリストテレスの自然哲学の解釈手法の中で、議論を論理的に再構成する分析哲学的手法を用いる解釈には、しばしば過度に議論を単純化し、結果としてギリシア語のテキストと乖離しているものがある。たとえば、「運動変化しうるもの」という語を「運動変化するもの」に置き換えてしまうと、様相が脱落しているという点で不正確な解釈だろう。おそらく、このような乖離は分析哲学的手法の制限ないし限界を示すものだと思われたため、その手法の開拓者であったG. VlastosやG. E. L. Owenの解釈が有していた利点と傾向性を一部調査することになった。この調査の一部は論文として公開される。2)このような作業のもと、アリストテレスの自然哲学と後期プラトンの影響関係を整理したところ、アリストテレスの自然哲学的教説の基盤のひとつはプラトン『法律』第10巻である可能性を見出した。『法律』同巻はしばしば神学的議論として扱われることが多いが、自然・技術・遇運という区分や、運動変化の分類、能動受動の関係、「あらゆるものが運動変化するのか、それとも一部の者が運動変化するのか」といった問いは、アリストテレスの主要教説に含まれている。そのため、本研究は一時、プラトンとアリストテレスの自然哲学的教説の連続性に疑義を呈したものの、逆に影響関係の存在を主張するに至った。もちろん、『法律』の後半はプラトンの真作をしばしば疑われるが、アカデメイアにおける議論をアリストテレスが引き継いだ、ということまでは主張しうると思われる。
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