本研究は、土葬から風葬への変化が明確な八重山列島に注目し、宗教史学的アプローチを用いて風葬が諸島に定着する社会基盤や歴史を考察することを目指した。また、急速に風化しつつある風葬文化を後世に残すため、記録保存を行うことも目的とした。研究の過程で、これまでに、近世琉球王朝にて風葬と区別されうる「殯」の期間が設けられていたことが分かり、風葬や日本古代のモガリと混同されてきた研究状況を指摘しつつ、琉球王朝の「殯」の実態や成立起源の検討を行った。その結果、「殯」ないし風葬の広まる社会基盤には、儒教などの成立宗教の影響は希薄であったことがわかった。また、「殯」の成立起源の検討を行う中で、歴史学的・機能的な説明では不十分であることが確認され、“歴史認識の変化”による死生観からの構造的分析を試み、世界観研究にも若干踏み込む成果を示すことができた。ただ、庶民における風葬や関連の習俗・ナーチャミやワカリアシビーの分析までは至らず、課題も多い。 死生観や世界観から葬墓制変容を検討した一方、字糸満の門中墓での洗骨儀礼の参与観察(12月)、与論島における墓地調査(2月)、与那国島での墓地調査・風葬実践者への非構造化インタビュー(3月)を経て、葬墓制変容をもたらす背景には火葬化、外部化(葬儀の産業化)、衛生観念、墓地行政の為す役割の方がかえって甚大であることが看取された。今後は、近代化政策等からの社会学的分析が肝要となるだろう。 なお、当初は前近代の八重山列島に絞った研究となる予定であったが、上述の研究経緯により、風葬史を考える上で重要視すべきは近代にかけての南西諸島全般であることがわかり、研究期間後半は研究対象がそちらに移行することとなった。また、風葬の“記録保存”という点では、参与観察・インタビュー、関係各所から得た記録映像などの一次資料があるため、今後、保存や公開方法について検討していきたい。
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