当該年度(2022年度)の研究では、備中井原の学問所・興譲館に関わった泊園書院の人々、具体的には泊園書院と興譲館の両方で漢学を学んだ人物(黒井蓮渓、三井竹窓、小野桜山)と、興譲館の館長と姻戚関係を持った泊園門人(岡田柯一)を取上げ、近世・近代瀬戸内地域における漢学教養人の行動を調査した。 黒井蓮渓(1851-1924)は備後出身の僧侶で、勤王博徒・日柳燕石の息子に漢詩を学んだ。蓮渓はのち備前の等覚寺の住職となり、当地において虫明焼の再興運動を支援する。三井竹窓(1852-1894)は讃岐出身の医師で、その祖父は燕石に漢詩を教えた。竹窓は香川県会議員に選ばれ、医療行政の分野でも活躍する。小野桜山(1853-1937)は備後出身の漢学者で、南画、篆刻、茶道にも通じた。桜山は豊前の景勝・耶馬渓の保存と日中の古典の収集につとめている。岡田柯一(1862-1917)は備中出身の医師で、その父は勤王儒者・森田節斎に師事した。柯一は都窪郡医師会の初代会長に就任、さらに倉敷教会に自らの屋敷を提供している。 以上のように、四者の経歴を見れば、①興譲館と泊園書院をつなぐ瀬戸内漢学ネットワークが存在したこと、②本人もしくはその父祖が瀬戸内における勤王派リーダーと何らかの関わりがあったこと、③本人が地域の文化もしくは産業の振興に積極的であったこと、の三点を理解することができる。こうした事実を踏まえると、あらためて漢学と近代と地域との深い関わりを認識できるように思われる。 なお、研究期間全体を通じて、泊園書院出身者の行動面とその地域社会とのかかわりに関する研究は大いに進み、その成果は吾妻重二監修・横山俊一郎著『泊園書院の人びと―その七百二人―』にまとめられるにいたった。一方、泊園書院出身者の意識面に関する研究は、時間の制約もあり、思うように進めることができなかった。これについては今後の課題としたい。
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