津島版画などの地方で制作された多色摺の浮世絵版画は、江戸錦絵と共通する材料や技法が用いられているものと考えていたが、大判が一般的な江戸錦絵に比べ、大倍判や間倍判のサイズが多く、比較的大きい版画が制作される傾向が見られた。 さらに、図像研究から最も古い版画の後摺と考えられていた津島版画「日本惣社津嶋牛頭天王朝祭略図」および「日本惣社津嶋牛頭天王御祭礼信楽略図」の元素分析を行ったところ、青色の箇所からTiが検出され、二酸化チタンが含まれていることが推測された。二酸化チタンが白色顔料として工業化したのは1916年からであり、本資料はそれ以降に後摺が行われたこと推察される。板木の摩耗状態から再刻されることなく近代まで再摺されていた可能性が高く、津島版画が近代まで津島の地域において親しまれていたことが示唆されたが、再摺に用いられた板木は未だ見つかっておらず、誰の企画によって再摺されたのかは明らかになっていない。 また、本年度調査した団扇形式の津島版画の中に尾張藩主に献上した団扇と図像が近似した版画が確認され、赤色の箇所からSとHgが検出され、朱の使用を推定した。当該箇所にはベニバナと思われる赤色色材も使用されていると考えられ、ベニバナと朱の混合する技法は、1859年以降に増加することが先行研究により明らかになっている。献上団扇は文化9年に制作されたが安政7年(1860年)に再刻されており、色材調査の結果によって本資料は再刻した板木によって摺られた団扇絵である可能性が出てきた。再刻された板木は津島神社に現存しており、今後、板木の彫面を詳細に調査することで団扇絵が安政7年に再刻された板木で摺られたされたものであるか確定できると考えている。 津島版画は同図像の異版が多いことから、重複図像を含めた資料リストの作成が急がれており、リスト化の草案作成を進めた。
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