文章指導・小説指導を最も発展的に活用したと言えるのは新潮社であった。新潮社の通信教育機関「日本文章学院」(1898~1923)は、通信講義録や機関誌『新文壇』で指導を行う傍ら、副読本として文学系出版物を販売していった。同学院の圏内においては『二十八人集』(1908)をはじめ、真山青果・島崎藤村・小川未明らの単行本が、「文範」として宣伝・販売されていった。それは一方で、作品を「小説」ではなく「文章」として再定義していくことでもあり、生徒たちが一般とは異なるコンテクストと態度で書物を受容する状況も作り出したと言える。今日から見れば小説作法書にしか見えない本間久雄『最新描写法講話』『最新描写法実例』(1915)において(個別のテクストを指す場合を除き)殆ど「小説」という言葉が見られないように、新潮社は小説作法的な言説を活用し、小説への需要と、文章力=教養への需要を巧みにコントロールしたと言える。 研究期間全体を通じて、〈小説作法〉言説の意義を確認した。まず〈小説作法〉は、学び、理解し、試行錯誤する創造の過程(mini-c creativity)に関与するものである。そして、〈小説作法〉の観念的・抽象的な指導は〈小説を書ける〉状態(Achievement)を伝達するものである。また、(近代の)〈小説作法〉は「小説」ジャンルの特殊性(他ジャンルの文章との関係性や、小品としての位置付け)をめぐる状況を反映する。本研究でとりわけ注目したのは、新潮社の文章教育事業であった。一連の事業の中で繰り出される言説は販売戦略を含んでいたが、そのために初学者向けの簡易化と、「描写」を技巧の中心とするコントロールが為された。その推移と、技法の取捨の様態は、後の木村毅の著作や「文章読本」系出版物の出現を鑑みる上で検討に値する。
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