研究課題
1920、30年代、シンガポール(旧英領マラヤ)には、中国の「五四」文学の影響を受けた華人青年文学者と中国から南下した文学者が集い、華文(中国語)での文学創作が活況を呈していた。今日ではこれが「馬華文学(マレーシア華人文学、広義にはシンガポール華人文学を含む))」の黎明期とされる。本研究は、1920‐40年代のシンガポール・マラヤにおいて、中国の「五四」文学に影響を受け活躍した若手文学者たちの作家論を、当時の日本や中国の文学を視野に入れながら構築し、その文学と思想を総合的に考察することを目的としている。具体的には、金枝芒、方北方、方修、苗秀、孟紫、呉紹葆、王嘯平等の文学者が対象である。今年度はコロナ禍で現地に訪れることはできなかったが、資料の収集を可能な限り行った。『馬華新文学大系』やアメリカでの「サイノフォン文学」に関する論文集等を入手し、資料の整理を行った。その過程で現在「馬華文学」に関する議論と、本研究に関する黎明期の「馬華文学」作家との間に横たわる溝に関して興味を持ち、調査を進めている。具体的には、なぜ現在「馬華文学」研究が盛んにおこなわれているにもかかわらず、同地の黎明期の文学者が十分に評価されてこなかったのかについて基礎的な検討を始めている。しかし論文としての成果は、王嘯平にまつわる研究に限定された。論文「南洋華僑の家人――茹志鵑、王安憶から見た王嘯平」は、『夜の華 中国モダニズム研究会論集』に掲載され、2021年3月に出版された。当該論文は現在、中国語に翻訳の上、マレーシアで出版の研究書に掲載が予定されている。現在現地研究者と意見交流をすることは難しいが、今後の交流の足掛かりにする所存である。また『中国が描く日本との戦争(仮題)』(未刊)には、王嘯平および王の娘で中国の著名作家である王安憶のエッセイを訳出し、マラヤ華人と戦争について簡単な紹介を行った。
3: やや遅れている
2020年度は国内の研究所や翻訳書などを収集し、日本語資料は大部分を通読した。またSNSを通じてシンガポールの独立系書店「草根書屋」動向や、そこで行われている議論を追うようにしていた。またサイノフォン文学の研究に関する資料も英語、中国語とも輸送に時間はかかったが入手できた。しかしこちらはまだすべてを通読するに至ってはいない。現在資料の収集通読を進めつつあるが、2020年度本研究はやや遅れていると言わざるをえない。その理由のひとつに、コロナ禍の影響で当初予定したように現地に赴き、資料を収集したり、研究者と交流を持つ機会をもつことができなかったことがあげられる。それに加え、2020年度より現在の大学に赴任し、多くの業務を学ぶ必要に迫られたが、コロナ禍の影響で研修などが不十分だったことに加え、新たにオンライン授業が開始され、教務方法自体も見直す必要があり、かなりの時間と労力を割くことになった。そのため2020年度は一年を通じて体調を崩し気味で、本来研究に充てるべき休暇期間に療養を余儀なくされることとなった。しかしながら、年度末には少しずつ研究体制を整えられるようになった。その成果は、すでに決まったものだけでも2021年5月の「日本中国当代文学研究会」と、2021年10月の「現代中国学会」の共通論題(文学)における報告に現れる予定である。また、9月に近畿大学国際学部紀要『Journal of International Studies』には5月の報告を踏まえた論文を寄稿する予定である。
当初予定していたように、研究対象となる文学者金枝芒、方北方、方修、苗秀、孟紫、呉紹葆、王嘯平の単行本化されたテクストを通読する。その際方修編『馬華文学体系』(1967、香港)所収の散文、小説、戯劇編も通読し、無名の文学者を含めた形で、当時の文学的背景を押さえる。同時に、サイノフォン文学の研究成果として米国の先行研究を通読し、資料としてまとめてゆく。さらに台湾在住の馬華文学作家であり研究者でもある黄錦樹の議論に着目し、なぜ黎明期の文学が文学伝統としての重視されてこなかったか、現在の馬華文学とはどのような乖離があるのかを検討したい。また海外渡航が可能になった暁には、現地であるシンガポールやマレーシアの研究者を中心に世界の研究者と交流を深めてゆきたい。上記の基礎研究を通して、主に1920年代から40年代のシンガポール・マラヤの「五四」文学青年が、文学を通していかなる応答関係を築いていたか、またどのような社会活動を展開していたかを検討する。その際、『星洲日報』等当時のシンガポールの新聞を参照する。さらに、抗日街頭劇など華人文学者の参与した社会活動や日本占領期の画像や資料なども収集する予定である。米国で進められている「サイノフォン文学」研究動向に着目し続け、最終的にかかる議論と、研究の結果明らかになった馬華文学創成期の多様性に満ちた文学活動とが、その議論においていかに位置付けられるかを検討する。
2020年度は本研究の初年度であるため、本来現地に赴き資料を多く購買、収集する予定であった。また、国内の学会研究会の参加し、知見を広めようと考えていた。しかしコロナ禍で海外渡航や出張自体が困難になり、当初予定していた通りに出張費を使うことができなかった。また2019年度終了予定であった別の科学研究費(研究活動スタートアップ「現代中国の文芸一家--王嘯平、茹志鵑、王安憶の文学テクストの総合的検討」)が同じくコロナの影響で20年度へ繰り越されることになったため、本研究の計画自体が変更を余儀なくされたことも影響している。年度末には少しずつ研究を立て直し、著書出版費などまとまった額をを計上することが決まったが、やはり諸事情により決算が遅れたため、次年度に精算することになった。
すべて 2021
すべて 図書 (1件)