研究課題/領域番号 |
20K12978
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
石田 雄樹 東北大学, 文学研究科, 助教 (70837153)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 18世紀 / フランス文学 / 自伝 / 自己語り / 一人称の語り / 経験論 / レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ / 物語論 |
研究実績の概要 |
これまでの文学史において、フランスにおける自伝文学は、ジャン=ジャック・ルソーの『告白』によって成立したとみなされる傾向にあった。ルソー『告白』の完成度と後世に与えた影響の大きさについては議論の余地がないが、しかし、18世紀フランスにはルソー以前にも多数の自伝が存在する事実については過小評価される向きがあったのではないか。そこで申請者は、18世紀フランスにおいて具体的に「自己語り」がどのような思想史的背景において成立したか、またいかなる修辞技法が「自己語り」のために模索されたかをルソー以前の自伝的テクストを比較分析することによって明らかにすることが可能ではないかと考えた。 これまで申請者は、18世紀フランスにおける「自己語り」という問題で最も重要な作家と思われるレチフ・ド・ラ・ブルトンヌを中心に考察を進めてきた。レチフに加えて、ピエール・プリオンやジャック=ルイ・メネトラといったこの時代を代表する自伝的テクストの執筆者を検討対象とすることにより、「自己語り」の変遷過程を把握することを第一の目標とした。 具体的な分析にあたっては、ジュネット、バンヴェニスト、ヴァインリヒ、ルジュンヌ、ラバテルといた言語学および物語論における「一人称の語り」研究の成果を活用することを心掛けた。その結果、修辞技法の面における「自己語り」の特異性が「私」の多層性にあることを明らかにした。「自己語り」の多層性の文学的効果の役割とその変遷をより詳細に把握するためには、個々の作品のさらなる分析が必要であると思われる。 また思想史的検討にあたっては、自伝文学成立に決定的な影響を与えたと思われるイギリス経験論に関する現在までの研究史を概観するとともに、「自己語り」と経験論の関連性に関する暫定的な仮説構築のための基礎作業を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度はレチフがどのような「自己語り」を行っているかを物語論的観点から明らかにすることを第一の目標とした。アラン・ラバテル等の最新のフランス語学・物語論における「語り」研究を踏まえたうえで、レチフ作品の語りを作品世界内の語り(語りA)、作品世界に介入する語り手=作者の語り(語りB)、上記二つに分類不可能の語り(語りC)の三種類に区別する語りABC仮説を、「自己語り」を物語論的に把握する暫定的な仮説として発表した。この仮説は過去の論文や発表で提示してきたものであるが、今年度はこれまで受けた批判を考慮し、修正したものを構築することができた。 思想史的検討においては、レチフの自伝的小説『パリの夜』と短編小説集『ジュヴェナル』を主な分析対象とし、レチフにおける自己同一性の問題について考察した。特に、ポール・リクールが提唱した、「自己同一性は物語ることによって形成される」という「物語的自己同一性」という観点から、レチフ作品の読み直しを集中的に行った。その結果、レチフの「自己語り」は幸福の探究という問題意識と不可分であることを明らかにした。レチフが自伝に固執するのは、自分の人生を物語ることによって書物という形で永遠の生を得たいという個人的幸福を達成するためだと考えられる。しかし、このような幸福観はあくまで個人的な次元にとどまる性質のものであり、レチフが他の作品で頻繁に展開する社会改革論と整合性がとれないという新たな問題が生じる。また、レチフ自身は自伝成立に大きな影響を与えたイギリス経験論に言及した痕跡が奇妙なほど見られず、レチフがどのように「自己」の探究に取り組んだか、明らかではない。このような問題は18世紀における自伝成立を再考するうえで重要であり、解決しなければならない課題であると思われる。
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今後の研究の推進方策 |
レチフにおける幸福と「自己語り」の相関関係について、文学史的・思想史的観点から考察していく予定である。特に、イギリス経験論や感覚論をレチフがどのように受容し、創作に活用したか、明らかにすることが目標である。これまでの18世紀フランス思想史研究においてはレチフは等閑視される傾向にあったが、近年、フランスのレチフ学会を中心に、レチフの再評価が活発的に行われている。レチフを「幸福の探究者」として、また18世紀全体における「自己語り」の代表者として読み直す本研究の試みは、新たなレチフ像を構築するうえで大きな貢献ができると考えている。 「自己語り」の修辞技法の面における通時的な検討を行う予定である。プリオンなどの18世紀半ばの作家と比較すると、ルソーやレチフといった18世紀末の自伝作品における語りの多層性はより豊かに複雑になっていると指摘できる。このような修辞技法の変化はどのようにしてなされたのか、検討していく。 自伝文学の成立過程を解明する試みは、フランス文学において一人称の語りが文学作品でどのように活用されてきたかを明らかにする試みであると言い換えることができる。フランス文学において一人称の語りが注目されるのは19世紀に入ってからであり、これまでのフランス文学研究や「語り」研究において、18世紀という時代はほとんど考慮の対象とされてこなかった。本研究の目標の一つは、「語り」研究において18世紀のテクストが興味深い対象であることを明らかにすることである。従来しばしば指摘されてきた「一人称の語りの多層性」は19世紀に入って突然生じたものではなく、18世紀文学の大きな影響下に成立したものであることを文学史的に論証することを目指す。 上記の成果を国内外の学会で発表するとともに、論文としても刊行していく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
国際学会参加と海外への資料調査の旅費として計上していたが、コロナ禍のため、当初予定していた計画通りに海外出張が行えなかった。2021年度中に海外出張が行える場合はその分の旅費として使用する。万が一、海外出張が不可能な状況であれば、資料購入やパソコン機器の購入に充てる予定である。
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