研究課題/領域番号 |
20K13203
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研究機関 | 大阪公立大学 |
研究代表者 |
貝原 哲生 大阪公立大学, 大学院文学研究科, 都市文化研究センター研究員 (70597179)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | イスラーム時代初期 / エジプト / 教会・修道院 |
研究実績の概要 |
7~8世紀のエジプト南部テーバイ一帯(現在のルクソールとその周辺地域)の教会・修道院の活動について分析した。 エジプトでは8世紀初頭からの中央集権化の結果、行政機構の担い手のアラブ化が進展するとともに増税と苛烈誅求により住民の負担は増大、教会・修道院もその例外ではなかった。しかし、テーバイ一帯では、文書史料にアラブ名があまり見られないことから、税が納められている限り引き続き間接統治が認められていたと推測される。だが、変化も見られる。この地域では聖フォイバンモン修道院の繁栄が目立つ一方、多くの教会・修道院が衰退している。例えば、聖フォイバンモン修道院と並ぶ名声を得ていた聖パウロス修道院の活動は738年以降途絶え、766年の聖フォイバンモン修道院への土地寄進文書に署名した「ヘルモンティスの人々」には、ヘルモンティスが主教座であるにもかかわらず、教会人が含まれていない。 こうした変化の中でとくに注目すべきは、聖フォイバンモン修道院に対して男児(ないし少年)をその親が奉げる「奉献子」の存在である。「奉献子」は修道院に奉仕する者であり、将来修道士になることは想定されていなかった。 この我が子を奉げる文書は734年から785年の間に集中しており、その数は26件、またそれらには、「奉献子」が成年に達した時点で、修道院内で生涯奉仕を続けるか、労働の対価を修道院に納めるかを彼とその親が選択可能であるものも6件含まれることから、「奉献子」は当局の教会・修道院への圧力に伴う経済的苦境を乗り越えるために編み出された新たな寄進の形とも考えられる。 聖フォイバンモン修道院がテーバイ一帯の教会・修道院の中で抜きん出た理由としては、聖フォイバンモンが「治癒をもたらす聖人」であり、また修道院が立つハトシェプスト葬祭殿跡にかつて療養所があったことから、「医療施設」として評判を呼んだ可能性がある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
新型コロナウイルスの世界的流行の影響により、海外での資料調査を計画通りに進めることができなかった。そのため、科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)補助事業期間再延長を申請し、承認された。
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今後の研究の推進方策 |
エジプト南部テーバイ一帯において尊敬を集めていた聖パウロス修道院や治癒をもたらす聖人として有名な聖メナスの修道院を差し置いて聖フォイバンモン修道院が評判を呼んだ理由は、同修道院の「医療施設」としての名声だけでは説明できない部分もあり、さらなる検討が必要である。 また本研究では、イスラーム時代初期のエジプトにおける教会・修道院の活動についてその全体像を把握するためにテーバイ一帯と他の地方を比較分析することも重要であり、海外での資料調査も踏まえて、これらの課題に取り組む。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウイルスの影響で海外での資料調査を実施できなかったため、次年度使用額が生じた。海外での資料調査の段取りが整い次第、これを実施する予定である。
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