研究課題/領域番号 |
20K13206
|
研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
小野 亮介 早稲田大学, 人間科学学術院, その他(招聘研究員) (00804527)
|
研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
|
キーワード | 中央アジア / 新疆 / トルキスタン / 東トルキスタン共和国 / インテリジェンス / プロパガンダ / 汎テュルク主義 / 亡命者 |
研究実績の概要 |
研究期間を1年間延長して臨んだ2023年度はこれまでの集大成として、本研究の主たる対象の「ウザクバイ」こと戦間期日本の軍人・外交官らによる中央ユーラシアのテュルク系ムスリムへのアプローチの破綻と位置付けられる「近東会議」(1938年、イスタンブル)に焦点を当て、トルコ、イギリス、フランス、チェコで会議に関する資料を収集した。これらの調査により、「ウザクバイ」がイスタンブルにおいてトルキスタンや北コーカサス出身の亡命者と接触していたこと、トルコ政府が両者の接触を強く警戒していたことを明らかにした、加えてインド国立公文書館史料を読み進め、「ウザクバイ」に協力したトルキスタン人亡命者S.バフティヤールの足取りを解明した。以上により、張鼓峰事件を巡るトルコ外交の対応、在欧テュルク系亡命者の内部対立、そして「ウザクバイ」がインドに亡命していたカシュガルの有力者M.ムヒッティの調略を試みていたことなどが近東会議に背景にあることがわかった。 2020年以来未曽有の猛威を振るったコロナ禍によって本研究も計画を大幅に変更せざるを得ず、特にカーブルで「ウザクバイ」の活動を妨害した「ウズベクのゾルゲ」ことM.アイカルルについてウズベキスタンなどで調査できなかったことは遺憾であった。代替の研究として新疆軍事派遣団(1919-1921年)、カザフ自治政府アラシュ・オルダ幹部R.マルセコフによる日本政府への支援要請(1919年)に取り組んだ。これらは「ウザクバイ」の起源にも関わる問題であり、図らずも本研究を補完することができた。近東会議を主催した駐トルコ日本大使館に対して曖昧な形での解決を図ったトルコ政府は、会議の前後に「ウザクバイ」と関わったと思われる亡命者を国外追放しており、これをもって中央ユーラシア出身のテュルク系ムスリム亡命者を活用した「ウザクバイ」の対ソ戦略の破綻と評価することができる。
|
備考 |
東京で発行されたタタール語雑誌『日本通報』『新日本通報』の総目録サイト(Yana Yapon Moxbire (1931-1938) kursatkeceより改題)。2023年2月の仮公開を経て、2023年7月に本公開開始。エントリー数約1,740点(2024年3月現在、2023年度の追加エントリー54点)。
|