本研究は、近年の欧米社会における排外主義の台頭に伴い表面化しつつある西欧近代的な「宗教的寛容」の危機を背景として、近世ヨーロッパにおける「宗教的寛容」概念成立期の社会の分析を通じて、歴史研究の立場から「宗教的寛容」の新たな歴史像を提示することを目指すものである。 本年度については、近世後半のドイツにおける宗派対立を調整する法的規範となった、ヴェストファーレン条約の起草段階の交渉を分析し、この時点で用いられていた「寛容」という言葉の意味合い、個人の「信仰の自由」に含まれる具体的な内容、個人の「信仰の自由」と、宗教政策に関わる国家主権との関係、について明らかにすることを目指した。 分析の結果、本交渉においても「寛容する」(tolero)という言葉が頻繁に用いられていたが、それは、現代のような肯定的な意味とは異なる否定的な意味で使われていたこと。特に、外部から強制される状態の意味で使われていたことが明らかとなった。しかし同時に、現代の「寛容」の意味に近い別の言葉も用いられており、「自由意志に基づく積極的な美徳」としての「寛容」概念が存在しなかった訳ではないことも明らかとなった。また、「信仰の自由」に含まれる具体的な内容について、個々人が信仰を維持する上で必要となる行為が、宗派ごとの教義上の差異により、しばしば宗派間で異なっていたことから、共通の内容を設定することが困難を極めていた様子も明らかとなった。 交渉過程の分析は途上であり、個人の「信仰の自由」と国家主権との関係については今後検証が必要となる。そのため、分析途上の事柄について引き続き作業を進めた上で、以上で明らかになった事柄と合わせて、研究期間全体を通じた研究成果を公表する予定である。
|