19世紀後半のハプスブルク帝国領ガリツィアを事例として、ポーランド人議員、総督、他領邦のメディアなどがガリツィアの政治的立場を相互にどのように位置づけようとしたのかを検討した。まず、ガリツィア選出のポーランド人議員であるフランチシェク・スモルカを、次に、ガリツィア総督アゲノル・ゴウホフスキに焦点を当てて分析し、最後にこのようなポーランド人議員の活動をそのほかの領邦の議員たちがどのように分析したのかを明らかにするというものであった。スモルカに関する論文は令和4年に『寧楽史苑』の67号に掲載された。ゴウホフスキについて論文は、そのほかの領邦のメディアの分析とともに現在掲載に向けて執筆中である。
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