研究課題/領域番号 |
20K13220
|
研究機関 | 石巻専修大学 |
研究代表者 |
目黒 志帆美 石巻専修大学, 人間学部, 准教授 (60754744)
|
研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
|
キーワード | ハワイ王国 / 憲法 / 宣教師 / マサチューセッツ |
研究実績の概要 |
ハワイ王国では、19世紀初頭のアメリカ人との接触以降、四つの憲法(「1840年憲法」「1852「年憲法」「1864年憲法」「1887年憲法」)が相次いで制定された。これらの憲法の制定過程からは、アメリカ人側のハワイにおける権勢拡大の思惑と、それに抵抗するネイティブの国王による王権の維持という、二つのベクトルのせめぎ合いがみてとれる。 この四つの憲法を「デモクラシー」と関連づけて位置付けるのであれば、第一の「1840年憲法」は、1820年以降ハワイに入植したアメリカ人宣教師による「デモクラシー」概念の植え付けであり、第二の「1852年憲法」は当時の合衆国でも実現していなかった奴隷制廃止条項などを盛り込んだという意味で入植したアメリカ人の理想的「デモクラシー」の実現といえよう。一方、これら二つの憲法はネイティブの国王にとっては王国の近代化と独立維持のために受容せざるを得なかった「デモクラシー」であったと考えられる。これに対し、第三の「1864年憲法」は縮小された王権を再強化する目的のもと、しかるべき憲法制定の手順を踏まずにカメハメハ5世が独断で制定したものであり、その意味でこの憲法は「デモクラシー」の拒絶とみなすことができる。さらに、「銃剣憲法」とも称される第四の「1887年憲法」は、第7代国王カラカウア王によるハワイアン・ナショナリズムの強化策に危機感を募らせた在地アメリカ人が、武力威嚇のもとに制定させたものであった。この憲法は白人以外の人種に付与されていた選挙権を剥奪するとともに、王権を再び縮小した内容であるため、アメリカ人にとっては将来の併合を担保する「デモクラシー」だったといえる。 本研究は以上の問題関心のもと、四つの憲法制定過程の分析を通じて「デモクラシー」と「王権」とのかかわりからハワイ王国史を再構築するものである。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
これまでの研究では、上述したハワイ王国の四つの憲法の分析をおこなってきたが、比較対象となるアメリカマサチューセッツ州憲法の制定過程とハワイ王国における憲法制定過程に関する調査ができていない。これは、新型コロナ流行の影響のため、現地での資料収集ができないという状況によるものである。
|
今後の研究の推進方策 |
新型コロナウイルスの状況をみながら、現地での調査を模索するとともに、当初予定していた研究期間の延長も視野に入れたい。それとともに、オンラインで入手できる資料の収集にも引き続き努めたい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウイルスの感染拡大により、海外での資料調査が行えず、それにともなう旅費等の支出がなかったため。
|