本研究は、西周前期から中期における西周王畿西方の諸侯国への王朝からの政治的働きかけと、それへの諸侯国側の反応を、青銅器祭祀と甲骨祭祀・動物犠牲の広がりという面から解明することを目的とする。2018年に実態が明らかとなった寧夏回族自治区彭陽県に位置する姚河ゲン遺跡からは西周王朝系の青銅器や青銅器の鋳型、文字を有する甲骨が発見されており、これらの特殊な遺物は、西周王朝が王朝の西方の集団に対して行った地方支配政策の一端である可能性がある。姚河ゲン遺跡の性格を明らかにすることは、西周王朝と西方諸集団との政治的関係を解明するための大きな手掛りとなるであろう。 本研究課題を通じて、姚河ゲン遺跡から出土した甲骨・青銅器・土器をつぶさに観察することができた。甲骨については、①骨片の調整方法②文字の刻字方法③字形・字体の点で、同時期の周原甲骨とも、それ以前の殷墟甲骨とも大きく異なることが明らかとなった。青銅器に関しては、工具や武器などは現地で生産していたと考えられるものの、王朝との関連が強い精製の酒器・食器は在地生産ではなく、やはり王朝中心地から配布されていた可能性が高いことが判明した。土器の形態や動物祭祀の実施といった特徴は、当遺跡が在地的な文脈の中で出現した大型遺跡であることを物語っている。 結論として、姚河ゲン遺跡の有字甲骨は西周王朝側からのアプローチではなく、西周やかつての殷王朝で利用されていた特殊な祭祀的政治道具である文字を、在地権力側が模倣しようとした結果とみなすことが妥当だと思われる。王朝からの青銅器の配布も、他地域とそれほどの差異はない。姚河ゲン遺跡の特殊性は、王朝からの働きかけの結果ではなく、当遺跡にいた人々による新たな社会システム構築の試みの結果とみるべきであろう。
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