研究課題/領域番号 |
20K13416
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研究機関 | 同志社大学 |
研究代表者 |
村田 陽 同志社大学, 人文科学研究所, 嘱託研究員 (30823299)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | J. S. ミル / ジョージ・グロート / 哲学的急進派 / ギリシア史 |
研究実績の概要 |
19世紀ブリテンを代表する思想家J. S. ミルの改革の政治思想について、令和三年度は「改革思想の深化」の時期である1841年から1850年を中心に研究を実施した。この時期にミルは、その後に公刊されることになる『自由論』(1859年)『功利主義』(1861年)『代議制統治論』(1861年)といった主要著作のアイディアを深めていたことが明らかになった。つまり、これら著作で後に表明されたミルの改革思想の「前触れ」ともいえる議論が、1840年代にかけて展開されたことが当該年度の研究では示された。具体的な研究内容としては、ミルによる古代ギリシア史評価とヨーロッパ文明論を検討した。 古代ギリシア史評価として、ミルの改革思想に影響を与えた哲学的急進派ジョージ・グロートの歴史論を中心に、ミルが1840年代以降に刊行したグロート『ギリシア史』に関する書評論文のテクスト分析を行なった。『エディンバラ・レビュー』に1846年と1853年に掲載されたグロート『ギリシア史』についての批評では、ミルがグロートの歴史研究を通じて、近代ブリテンにおける民主的な政治改革の必要性とその方向性を検討していたことが明らかになった。ヨーロッパ文明論については、1845年に公表されたギゾーの歴史論(“Guizot Essays and Lectures on History”)を分析した。令和二年度の研究では、1836年にミルが発表したギゾーの論説を扱っていたため、30年代と40年代の比較検討を行うことで、文明発展のプロセスや条件が政治改革論といかなる関係にあるのかを考察した。 古代ギリシア史評価およびヨーロッパ文明論のいずれにおいても、次年度の分析対象時期となる1851年以降のミルの改革論に与えた影響が数多く看取された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
令和三年度は、前年度と同様に新型コロナウィルスの影響により海外での資料調査・収集は延期となったが、国内で閲覧可能な資料を活用して研究を進めることができた。 ミルの改革の政治思想は、後期の著作(『自由論』(1859年)『功利主義』(1861年)『代議制統治論』(1861年))において結実をみせたと捉えられるが、本年度の研究を通じて、これら後期の刊行物とおよそ1840年代の議論との関連性が指摘された。例えば、『自由論』で取り上げられた「多数者の専制」に関するミルの議論は、これまでの先行研究においてトクヴィルとの関係を強調したものが多かったが、本研究では、グロート『ギリシア史』と同書に対するミルの書評論文のなかでも「多数者の専制」への言及がみられた。また、『代議制統治論』でミルが提起した改革論には、代議制民主主義の教育的役割を強調する議論が含まれている。具体的には、政治参加を通じて国民の公的感情を養うことの重要性が同書では検討されているが、同様の視点がグロート『ギリシア史』のミルによる書評論文で詳細に取り上げられていた。 以上のようなミルの改革の政治思想は、民主的改革を支持した哲学的急進派としての信条を反映したものとして捉えられるが、この信条は、同時代の保守の歴史家との比較においてより明らかになるものであった。本年度は、グロートとミルが論敵とした保守ミトフォードのギリシアに関する歴史論の検討にも着手し、1840年代にかけてミルが保守の歴史叙述の問題点をいかに捉えていたのかについての分析も進めることができた。 本年度に予定されていた国際学会(The European Society for the History of Political Thought)での研究報告は再延期されたが、次年度開催の見通しが立っているため、以上の研究結果をもとに当該学会報告を行い、英語論文の投稿へ向けて準備を整えている。
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今後の研究の推進方策 |
令和四年度は、ミルの改革思想の結実時期として1851年から1861年を扱う。これまでの二年間の研究結果において、1832年から1850年にかけてミルがブリテンの政治改革論を検討した際に、ブリテンとの比較対象として次の地域・時代が特徴的に取り上げられていたことが明らかになった。すなわち、同時代ではフランスとアメリカ、過去の時代においては古代ギリシア(とりわけアテナイの民主政)が比較対象として度々言及されてきた。加えて、ミルをはじめとする哲学的急進派と対立した保守の政治論や歴史論への反対論が、1850年までのミルの刊行物でも確認された。これらの点をふまえながら、後期ミルの著作(『自由論』(1859年)『功利主義』(1861年)『代議制統治論』(1861年))が執筆された背景には、同時代の西洋諸国におけるデモクラシーの進展、デモクラシーの源流となったアテナイの民主政、民主的な改革に批判的であったブリテン保守の議論、という三つの要素が重なり合っていたことを次年度の研究では明らかにしていきたい。 そのため、国内では1851年以降のミルのテクスト・コンテクストの分析を進めながら、令和二年度と三年度に実施を見送った海外での資料調査・収集を可能なかぎり行う計画を立てている。ミルの改革論のなかでも、民主的な改革として哲学的急進派と保守が著しく対立していたと考えられる選挙制度改革に焦点をあてることで、限られた海外調査の機会を効率よく進めていく。以上の分析と調査の結果は、令和四年度の後半以降を目処に論文としてまとめる作業を行う。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィルスの影響により、イギリスでの資料調査・収集が困難となり、加えて予定されていた国際学会報告が延期になったため次年度使用額が生じた。当初海外旅費として使用する予定であったこれらの使用額は、次年度に計画している海外での資料調査・収集および国際学会報告のために使用する。
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