19世紀英国の思想家であるJ. S. ミル(1806-1873)の改革の政治思想について、令和5年度は「改革思想の実践」の観点から、1862年から第二次選挙法改正後のおよそ1870年までを主たる分析時期に設定することで研究を実施した。この時期のミルの活動は、従来の著述活動に加えて、庶民院議員に選出されたり、セント・アンドリューズ大学の名誉学長に招請されるなど公的領域でもさらなる活躍を見せた。このような彼の公共圏との関わりをふまえつつも、同時期に公刊された『ハミルトン哲学の検討』(1865年)、『大学教育について』(1867年)、『女性の隷従』(1869年)や同時代人のジョージ・グロートのギリシア哲学に関するミルの論考を一次資料の分析対象とした。 その結果、1862年以降の晩年のミルの改革思想は、前年度に扱った自由主義と代議制論に重なる特色を概ね保持していることが示された。ミルが自らの改革思想の結実(令和4年度で分析したテーマ)を踏襲しつつも、それらを現実社会の問題にどのように対応させるのか、というミルの知的活動の様相がより鮮明に現れていると評価可能な特徴が、教育論とフェミニズムの思想において確認された。 以上の結果をもとに、令和4年度までの研究で残されていた課題にも着手した。その課題とは、ミルの改革思想を理解するうえで鍵となるグロートとベンサムの政治改革論や功利主義の位置付けである。ミルは、功利主義者の立場から著述活動や公職に携わったが、その特色は、ベンサムの政治改革論を一部継承しつつも独自の路線を模索するところにあった。また、グロートとミルの政治論上の比較については、グロートがミルよりもベンサムの立場に近いと捉えられる一方、グロートがギリシア哲学を受容した側面は看過できない事実であることも示された。
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