本研究は、冷戦後の旧ソ連圏秩序再編をめぐって、ウィリアム・クリントン政権がどのような外交を展開したかを明らかにすることを目的としている。1991年のソビエト連邦解体、ユーゴスラビア連邦解体後により、クリントン政権は旧ソ連圏に残存する核兵器の不拡散問題を含む様々な問題を米露の二国間関係を基調に処理する必要性に迫られており、同時に旧ユーゴ地域で発生する民族紛争への対応も迫られていた。また旧ソ連圏および旧ユーゴ圏に挟まれていた中東欧一帯では、ワルシャワ条約機構が解体(1991年)し、ソ連全軍が撤退(1994年)したこともあり、新たな安全保障秩序が模索された。こうした文脈で登場したアイデアが中東欧諸国をNATOに加盟させるというNATO東方拡大政策であった。 最終年度に該当する2022年度では、こうした文脈で行われたNATO東方拡大政策をクリントン政権がどのように認識し実践していたっかという問いについて、最新の先行研究(二次資料)のみならず、回顧録やクリントン大統領図書館所蔵の未公刊一次史料などを多角的に用いながら検討した。結果、クリントン政権内ではNATO東方拡大政策と並行してNATOを冷戦期の軍事同盟としての性格(集団防衛)のみならず、冷戦後には「政治同盟」としての性格を、どのように付与するかということが議論されていたことが明らかになった。実際、国連では対応が困難だった旧ユーゴ圏における民族紛争にはNATO「危機管理」が功を奏した事実があり、中東欧諸国や旧ソ連圏諸国に対しては、PFP(平和のためのパーチトナーシップ)の名の下。「協調的安全保障」政策も実施していた。また、ホワイトハウス、国務省、国防総省の間で、こうした冷戦後のNATOの性格転換と東方拡大、対露外交の位置づけをめぐり齟齬が生じていたことも解明した。
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