フランス銀行は、銀行券を発行する特権を議会立法によって保証されてきたが、その立法過程においては、政府・議会・経済界より様々な業態の拡大要求を受け入れてきた歴史的経緯がある。19世紀後半の長期不況をきっかけとしたフランス農業への貢献もまた、その背景としての法体系の整備も含めて、零細な農業経営への融資を忌避してきた同行の変化の代表的な事例の一つである。 その後、1920年の特権更新に先立ち、1911年に商工務省により全国の商業会議所に対して、フランス銀行の発券特権の可否について行われた意向調査では、およそ130の商業会議所のうち多くは同行の農業融資を肯定的に評価し、農業融資を否定した商業会議所は見られなかった。こうした世論を背景に、1910年代には、フランス銀行内部においても積極的な農業融資の方針が共有されていたと考えられる。1913年、同行は、諸外国の発券銀行に関する調査団を各国に派遣していたが、その中には、農業融資を積極的に行っていたナポリ銀行が含まれている。ナポリ銀行調査に関する報告書には、租税を基にした農業融資が法的に整備されている点などが指摘されている。したがって、農業の救済という点は、フランス・イタリア両国の共通項をなしており、当時のフランス銀行にとっても、重要な方針であったと考えられる。 フランス銀行による農業融資の実績については、アイルランド農業融資政府委員会報告においては、中小規模農家により多額の手形が持ち込まれていることや、上記の法体系を基にした、地方金融機関への支援を通じた間接的支援、そして同行内で作成された覚書においては、農業倉庫証券の割引が、歴史的にワイン生産・輸出で栄えたジロンド県において多く行われていたことが指摘されている。今後は、同行と関わりを持つ中央省庁の方針や、同行の地方支店における農業融資の実態調査を、引き続き進める必要がる。
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