研究課題/領域番号 |
20K13844
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
広瀬 悠三 京都大学, 教育学研究科, 准教授 (50739852)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 地理 / ケイパビリティ / 宇宙 / 人間形成 / 世界市民 / 空間 / ヌスバウム / 地理的信頼 |
研究実績の概要 |
本年度は、空間と場所に基づく世界市民的教育の実践の基礎となる理論的研究を、以下の3点において具体的に行った。 (1)ケイパビリティ概念を手がかりにして、地理的営みが教育の目的自体を問い直す稀有な基盤的役割を備えているということ:ヌスバウムのケイパビリティ概念は、何かを行ったり、何かになったりする実質的自由を意味するが、このケイパビリティは人間の形成の基盤を示す上で重要である。このケイパビリティは、固定的で絶対的なものではなく、場所と時代に応じて絶えず修正可能なものとして推論的直観において捉えられており、これはまさに地理的営みに他ならないことを明らかにした。つまり、ケイパビリティを保障し拡張するには、地理的営みが不可欠になるということである。 (2)空間における人間の独自な形態としての信頼は、垂直的信頼と水平的信頼を内包する地理的信頼であるということ:人間における空間と場所の意味は、人間関係の形成という次元でさらに詳細に考察することが可能である。人間関係の可能性の条件としての信頼は、単に教育者と子どもの間に見られる垂直的信頼だけでなく、友人や事柄との間の信頼という水平的信頼を併せもつことで、信頼が空間的な広がりを有していることを明らかにした。信頼とはすなわち、根本的に、地理的信頼であるということである。 (3)シュタイナー教育における地理教育が、シュタイナー教育全体を束ねる中核に位置づけられるということ:シュタイナー教育における地理教育は、超感覚的世界と現実世界を結びつける紐帯をなすものとして、また道徳的人間形成の根幹をなす、エゴイズムの克服を促す契機をもたらすものとして、中核的な役割を担うことを明らかにした。地理が両世界に跨る領野を提示することは、人間がこの宇宙の襞に生きることであり、特異な意味をもつことが明らかにされた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、上記の3つの視点から、地理的人間形成、地理教育の根源的意味を、空間と場所の役割を踏まえながら解明することができた。はじめの二つは、空間と場所において、人間が特に行為することでもたらされる、根本的な事象を、教育の目的を考えるということ、人間関係の基盤を問い直すこと、という二つとして捉えることができた点は、とても重要な研究成果となった。地理が大切である、ということはしばしば指摘されることであるが、人間形成において、どのような意味で重要であるのかが、いままで不明確であったが、そのような状況において、教育を成り立たせている可能性の条件である、教育の目的を問うということ、つまりは人間の生の目的そのものを問うということが、まさに地理的営みであるということを、ヌスバウムのケイパビリティ概念から導出できたことは、これからの研究遂行において、重要な土台となると思われる。また信頼を地理的信頼と位置づけることができたことも、新自由主義的な宙づりの学問研究が見られる現在において、われわれの生のよりどころが、地理的信頼にあることを示唆するものであり、今後の新しい教育の形態としての世界市民的教育を考える上で、押さえなければならない、理論的考察であると思われる。 シュタイナー教育における地理教育では、理論と実践が連関する場において、地理的人間形成が、決して理念にとどまらない重要な意味を自らの内にもっていることを明らかにできたことで、今後の世界市民的教育の理論的実践を構築することがより明確になされる地平が拓かれたように思われる。
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今後の研究の推進方策 |
今後についてであるが、次年度はさらに理論を深化させることが、その後の実践的研究を合わせて遂行する上でも重要になると思われる。大きく以下の点が、研究のポイントになると思われる。 (1)信頼について、ドイツの教育人間学を手がかりにして考察を進めてきたが、もう一つの柱として存在するのが、日本の哲学・思想における間柄そのものとしての信頼である。これからは、とりわけ和辻哲郎の間柄の倫理学を体現するものとしての信頼の役割と、位置づけ、そして内実を、彼の空間論・場所論を踏まえながら考察したい。和辻の信頼は、一体どこから現出してきたものなのか、そしてまたなぜ信頼が道徳的な意味をもつようになるのか、和辻のテキストを丁寧に考察することを通して、信頼の奥行きを明らかにしたいと考えている。 (2)いよいよ世界市民的教育の理論的考察に、入っていきたいと考えている。具体的には、ヌスバウムやシュタイナーの思想的淵源であるカントの哲学において、世界市民的教育が、単に地理的に語られているだけでなく、別の極めて重要な含意があるのではないか、という見立てをもって考察したいと考えている。そのことをさらに現代的な世界市民的教育の議論と突き合わせることで、普遍か特殊かという二項対立を超えた、規範的ダイナミズムをもった世界市民的教育と世界市民的人間形成を析出したいと思う。 (3)余力があれば、世界市民的教育の理論的研究の成果を踏まえ、その実践はどのように意味をもって展開することができるか、考察・研究を始めたいと考えている。
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