高等教育とデモクラシーの関係を論じる場合、アメリカでは、高等教育へのアクセスを拡大することがデモクラシーの理念に寄与するという考え方が根強い。しかし、20世紀を通じて、この一般的な理解に当てはまらないさまざまな理解や試みが展開されてきた。 20世紀初頭には、ゴダード・カレッジに見られるように、J.デューイの影響も受けながら、大学コミュニティそのものを民主化しようとする実験があった。そこには初期のラーニング・コミュニティの実験と重なる関心もあったが、地域コミュニティとの関係も築いていこうとする点で、別の可能性を示していた。 1960年代には、望ましい高等教育や参加の在り方に関する対立的な主張が展開された。学生運動の宣言として有名なポート・ヒューロン宣言は、個人が自分の生活の質や方向を決定づける社会的な決定を共有するような参加デモクラシーを訴えた。一方でカリフォルニア大学で実験カレッジを運営したJ.タスマンはそれを否定し、「従順」を通しての「自由」を主張した。両者の主張はかみ合うことがなかった。 1990年代以降には、新自由主義に対抗してデモクラシーの議論が盛んに行われる一方で、地域コミュニティと連携したり、それを含む広い経済社会と協調したりしてデモクラシーの理念や高等教育の在り方を再構築する試みが行われている。もちろん、その協力関係自体が新自由主義的な価値や経済的な価値を前提にしているためにデモクラシーがそこに取り込まれてしまう、という危険性もある。しかしながら、そのような危険性を認識したうえで、それでも粘り強く対話し高等教育や大学の在り方を模索することが行われている。 デモクラシーの理念は、高等教育の場をコミュニティとし、地域コミュニティやより広いコミュニティとの関係を築きながら、デモクラシーの理念それ自体をも再構成しながら、多様な実験を生み出している。
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