本研究では,外傷性脳損傷のメカニズム解明のため,力学的負荷が分子スケールでどのように細胞の損傷につながるのかを明らかにすることを目的としている.本年度では,せん断流れが細胞膜へ与える影響を理解するために,せん断流れ下において膜に生じる張力について,その分子レベルでの詳細を明らかにした.せん断流れ下では,リン脂質二重膜のうねりが抑制され,膜に負の張力が発生した.この負の張力は膜面に対して等方的であった.その一方で,張力の元になっている原子間に働く力の成分ごとでは異方的で,流れ方向への変化が大きかった.特に,リン脂質分子の疎水性尾部間でのファンデルワールス力が負の張力のメインであり,流れ方向への変化も顕著であった. 細胞膜中のタンパク質の中には膜に生じている張力によって,その構造や機能を変化させるものがあることが知られている.せん断流れによって生じる負の張力は,単純に膜が圧縮されたときの張力と比べると,”張力の大きさ”としては同じであっても,膜内での力の釣り合い方が異なっている.そのため,せん断流れが膜張力を介して膜タンパク質へ与える影響は単純な圧縮による膜張力の影響とは異なる可能性がある. せん断流れと膜の関係は,細胞膜の損傷だけでなく,両親媒性分子と水の懸濁液でみられる様々な相転移を理解する上でも重要である.中でも,せん断流れによるラメラ相からマルチラメラベシクル相への相転移はオニオン転移と呼ばれ,多くの研究がなされてきたが,その分子レベルでのメカニズムには不明な点が多かった.本研究で明らかにしたせん断流れによって生じる膜の張力や原子間の力の釣り合いは,上述の相転移のメカニズム解明の一助となると期待される. 以上の内容をまとめて,The Journal of Chemical Physicsに投稿した.
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