研究課題/領域番号 |
18H05351
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 学習院大学 |
研究代表者 |
岩田 耕一 学習院大学, 理学部, 教授 (90232678)
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研究期間 (年度) |
2018-06-29 – 2022-03-31
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キーワード | ラマン分光法 / 時間分解測定 / 化学反応 |
研究実績の概要 |
本研究課題の達成のためには,ピコ秒時間分解ラマンスペクトルおよびピコ秒時間分解可視吸収スペクトルを測定することが必要である.前者のためには,本研究課題の最初の2年間でほぼ完成した新たなピコ秒時間分解ラマン分光計と既設のピコ秒時間分解ラマン分光計とを用いた.新たな分光計では,安定性に優れたフェムト秒のチタンサファイア増幅器の出力光パルスを狭帯域化してピコ秒パルスに変換し,このピコ秒光パルスをラマン分光測定のプローブ光とした.ピコ秒時間分解可視吸収スペクトルの測定のためには,既設のフェムト秒時間分解可視近赤外吸収分光計を利用した.この装置を用いて,時間分解ラマン測定のときのプローブ波長である633 nmを含んだ波長範囲で試料の時間分解吸収スペクトルを測定した. 本研究では,コロイド生成の際に界面活性剤やポリマーを添加してパルスレーザーの照射にも耐えうるコロイドを調製する方法を昨年度までに開発していた.今年度は,主としてこの方法で調整した金属コロイド溶液を測定用試料に用いた.表面に有機分子を吸着させた金属ナノ粒子を光照射して,そのピコ秒時間分解ラマンスペクトルを測定した. 今年度は,新たにターチオフェン分子の測定を始めた.320 nmなどの紫外光で光照射されたターチオフェンのピコ秒時間分解ラマンスペクトルには,金属ナノ粒子の有無によって相違があった.測定結果は,ターチオフェンラジカルカチオンと金属との電荷移動反応が数ピコ秒以内に進行することを強く示唆していた.さらに,最低励起1重項(S1)状態のターチオフェンのピコ秒時間分解ラマンスペクトルの解析から,金属の有無によってS1ターチオフェンの振動冷却速度が顕著に異なることを見出した.金属表面に吸着した場合,S1ターチオフェンの振動冷却過程が装置応答時間である3ピコ秒以内にほぼ完了していることが強く示唆された.
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
昨年度の半ばに,時間分解可視近赤外吸収分光計の光源部を構成するフェムト秒チタンサファイア再生増幅器が不調となり,修理を要する状態となった.この時間分解分光計は本研究の遂行にとって必要不可欠な装置であったので,万難を排して故障したチタンサファイア再生増幅器を修理した.しかし,この修理には数か月の時間を要した.これに加えて年度末の3月には,新型コロナ感染症のためにキャンパスに入構しての実験が困難となった.昨年度はこれらの原因で実験を停止せざるを得ない期間が生じ,その分だけ研究に遅れが出たことは否めない. 予期できなかった事由によって実験の遂行が停止した期間が生じた一方で,予期しない新たな現象に遭遇することもできた.前項で述べたように,金属ナノ粒子とその表面に吸着したターチオフェン分子との間で光誘起の超高速電荷移動反応が進行することを強く示唆する実験結果を得た.金属表面のターチオフェン励起状態では,振動緩和が装置の時間分解能の範囲内で完了するほど高速であることを示唆する結果を得ることもできた.分子構造の変化を敏感に反映する振動分光法で金属表面に吸着した有機分子の電子励起状態における電荷移動反応や振動緩和過程を直接観測した例は,研究代表者が知る限りでは他にない.このような興味深くかつ重要な現象を観測できたことは,昨年度の本研究における予期せぬ成果であった. 一年を通じて振り返った場合,研究開始時には予期していなかった新たな現象を見出すことができた.この点を考えると,研究は「当初の計画以上に進展している」と評価することができる.しかし,レーザーの不調や新型コロナ感染症の影響によって実験を停止せざるを得ない時期があったために,研究の一部が遅延したこともまた否定できない.このような状況を総合的に勘案して,現在までの研究は「おおむね順調に進展している」とした.
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今後の研究の推進方策 |
研究代表者らは,現在までの段階で,従来よりも格段に安定な測定を行うことができる新方式のピコ秒時間分解ラマン分光計を製作することと,パルス光照射による損傷を抑制するための金属コロイドの調整法を開発することにそれぞれ成功した.今後は,これらの新たな実験法を利用して,金属ナノ粒子の表面に吸着した有機分子が光励起されたときに生じる高速現象をピコ秒時間分解ラマン分光法によって高感度で検出することをめざす. 昨年度は,金属表面上に吸着したターチオフェン分子が示す超高速の化学反応と超高速の振動冷却現象とをそれぞれ見出すことができた.今年度は,まずこれらの新現象の分光観測を重ねて,その詳細を明らかにする.金属や保護剤の種類や調製条件を検討することによって,より効果的な時間分解ラマン分光測定および可視吸収測定を実現する.ターチオフェンはオリゴチオフェンの一つであり,この分子には多くの類縁化合物がある.これまで測定試料としていたターチオフェンに加えて,テトラチオフェンなどのオリゴチオフェンの測定も行う.金属表面に吸着したターチオフェン類縁化合物を光照射したときに誘起される高速現象を,時間分解ラマン分光法や時間分解吸収分光法,あるいは時間分解けい光分光法などを用いて追跡する.その結果をもとに,ターチオフェンでみられた金属表面での超高速の光誘起電荷移動反応や超高速の振動冷却過程の機構を議論する. 表面増強ラマン散乱における信号増強の大きさは,金属ナノ粒子の大きさあるいは形状とラマン励起の波長に大きく影響される.ピコ秒時間分解ラマン分光測定の一層の高感度化のために,これらの条件の検討を今後も続ける.光損傷を避けるための金属コロイド保護の方法のさらなる改善も追求する.
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