研究実績の概要 |
本研究は竹内好における終末観を方法論として把握しようとする同時に、それを竹内のアジア論へと結びつけようとする。過去三年間、研究者はこのテーマに関連する中国語論文2本、英語論文2本、日本語論文1本を国内外の学術誌または論文集に掲載した。そのなか、Frontiers of Literary Studies in China, No. 3 (2022)に発表した“On Takeuchi Yoshimi’s Aesthetics of ‘Eschatology’”は、竹内における終末観に集中的に取り組んでいるものである。そして、残りの論文は、竹内のアジア論と彼の独自的な近代観について、竹内の憲法論についてそれぞれ論じている。 それに加えて、2022年に魯迅に関する単著を出した(『魯迅を読もう:<他者>を求めて』、春秋社2022)。竹内論ではないものの、竹内の生涯をかけて研究していた対象にほかならない魯迅を読もうとすれば、竹内の魯迅論が避けられないことは当たり前である。したがって、拙著は魯迅について議論することで、竹内の終末観が彼にもたらした独特の受動性――それはまさしく彼が頻繁に使っていた「絶望」「無力」などの語彙に示唆されている――をむしろ魯迅のテクストのニュアンスをもって批判しようとした。 過去三年間の研究を全体的に顧みてわかるのは、竹内のもつ終末観がキリスト教のそれとほぼ無関係であるが、意外にも彼が唱えているように中国伝統思想につながっているわけでもない、ということである。むしろ、「かたちからエネルギーへ」という発想に還元できるかもしれない彼の終末観は、新たに出来上がるはずの政治的・文学的・思想的構造を先取りにしようとする意図に起源をもつ。
|