本研究は「受容」というモチーフを主軸としてブルーメンベルク神話論・宗教論を分析し、その議論が持つ哲学的な意義と射程とを明らかにするものである。最終年度に先立つ研究期間では、『マタイ受難曲』(1988年)を中心とする後期ブルーメンベルクの受容理解を主に検討した。それに対して最終年度では、初期における受容理解の形成、60年代に成立する「隠喩学」プロジェクトとのその接続を主題化した。ブルーメンベルクはその博士論文「中世スコラ的存在論の根源性の問題」(1947年)において、古代から中世への移行におけるキリスト教受容、および盛期スコラ学におけるギリシア哲学受容を問題とする。ブルーメンベルクによれば、これらの受容の過程には、起源に還元されることのない特有の「根源性」が認められる。受容を導き促すのは意味の空白化を埋め合わせようとする人間的要求である、という後年の著作に見られる基本的洞察の萌芽がすでに博士論文に見出されることを明らかにした。とりわけ『隠喩学のパラダイム』(1960年)をはじめとする「隠喩学」の構想において、受容を促進させる背景というテーマは中心的なものである。この点に関して難解な著作のもととなる1958年の講演記録を調査することで、明確化することができた。このようにブルーメンベルク哲学の中心に受容の問題を見出し、その核心を取り出すとともに、それが現代宗教学の議論に対してもたらしうる寄与についても考察した。西洋近代的な宗教概念に対する近年の根底的な見直し(いわゆる「宗教概念批判」)において、文化と宗教を厳格に分割する従来の理解に対する反省が求められている。ブルーメンベルク受容論が示唆するのはまさに、文化と宗教との関係をより内的で柔軟なものとして理解するための視座なのである。
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