2021年度では計画していた研究目的のなか、①西周に関する研究論文を2編、②京城帝国大学の哲学関連講座に関する研究論文を1編が発表できた。①では、これまでの西周研究ー人文学で多く使用される翻訳語を作り上げ、近代的な学問活動を可能にしたとされる西周理解ーより多様な側面を与える目的のもとで、『西周哲学著作集』(1933)の編纂背景および『百一新論』(1874)の受容史について実証した。特に前者では『西周哲学著作集』が西周に関する初めての著作集であることを重視し、なぜ「全集」「政治集」などではない「哲学著作集」になったかに焦点を当て、編者である麻生義輝のアナキストから明治文化研究者への転換に『西周哲学著作集』が持つ意味を明らかにした。また後者の論文では、これまで『百一新論』に関する理解ー近代主義、啓蒙主義ーを再考察する目的で『百一新論』に関する、これまで知られなかった戦前の書評、選集類を網羅し『百一新論』に関する多様な理解が戦前から存在していたことを実証した。②に関しては2021年9月に韓国学中央研究所で本人が行った講演「植民地朝鮮にとって西洋哲学とは何か」をもとにその内容を拡張させ、京城帝国大学における「朝鮮儒学」の位置ついて、内地の東京帝国大学「支那」関連講座との関連性から考察した。特に②で論じた問題は、「朝鮮儒学」が日本の「支那」学知の枠組みのもとでいかなる制度化過程を経たかという問いである。朝鮮総督府は、京城帝大を設置する以前から既存の「成均館」を「経学院」に変更させるなど、さまざまな儒教政策を行ってきたが、京城帝大の学部設置問題に関わっていた内地の「支那」系の学者から見れば、それは「近代的学問」にならないとされた。このようなさまざまな矛盾と既存の勢力の中で、植民地朝鮮における最高の高等教育機関で「朝鮮儒学」はいかなる近代的編成をなしたかについて②の論文で論じた。
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