本研究では近代日本成立過程における沖縄の位置づけを文学の側面から問うものである。現在、沖縄県立図書館所蔵の『琉球新報』『琉球教育』『沖縄教育』を中心とした明治期の記事、言説を収集、考察している。それらの記事を俯瞰すると、「地方だより」が重要な役割を占めていることが分かった。書き手は、「琉球処分」以後の〈日本語教育〉の受け手、あるいは中央から地方へ移動した者たちであるかの判断は今後の資料収集に委ねられるが、ここでは書き手が「読み手」(新聞購読者)へ「記事」内容を通して語り掛けている様相が読み取れる。地方の特色、都市部との差異(そこから生まれる偏差的「まなざし」の圧力)など、記事ごとの特色が見出せる。『琉球新報』は文語体を用いて表記され、1907年の読者投稿を促す企画欄「月曜よみもの」の募集要項(『琉球新報』11.11)では「其地に於ける時事の出来事」/「文体は随意なり」と記される。文語体での記事伝達の紙上に、口語体が求められていることが潜在的に示されていることが分かる。また『ホトトギス』が試みた「日記」の募集欄(「記事は気象、公事、私事、見聞事項、又はそれに関する連想議論等凡て其日に起りたるものに限る事。事実ならぬ事を事実の如く記すべからざる事。文体は随意の事」『ホトトギス』1900第2巻11号)が示した内容とも呼応していることが分かる。この企画欄に日本語解説や日記が載り、さらには「短編小説断縁」が示される。先行研究では軽んじられる作品だが、心理描写や口語体表記、倫理的葛藤を社会的・日本的観念から断罪する視点が見出せる。明治期の散文における「日本化・同化」の痕跡として重要だと考える。また「地方だより」調査の際に訪れた久高島にて見出した問題点を、土着文化の再構築を主題とした又吉栄喜「豚の報い」(1995)と関連付けることで査読論文を発表しえた(『昭和文学』2021.9)。
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