太宰治の中期作品の特徴として、動物の比喩と女性の一人称の語りを挙げることができる。これは前期にはほとんど見られず、中期に増加する。本研究は言論統制と文学表現の関係を追究しようとしたものだが、その過程で、検閲による処分を避けつつ、戦時体制からの疎外を表現するために、動物と女性が作品の中で用いられている可能性が浮上してきた。明らかになってきたのは具体的に以下のような点である。 太宰治の中期の活動が始まるとされる昭和12年は、日中戦争の勃発の年でもある。近年の研究では、戦時下では戦場の兵士が最も理想的な男性像となっていたことが指摘されている。国家への貢献という点と、人間としての成長という点において、理想的な大人の男性像が戦場の兵士であった。一方で、太宰がこの時期に描いた男性は多くが作家や芸術家であるが、いずれも戦場に行くことのない人物である。これには太宰自身が徴兵検査で丙種であったことも関係しているかもしれない。そうした人物がしばしば動物に譬えられる。言葉を発することのできない鴎であったり、他の犬から排除されてしまう見栄えのしない犬であったりする。つまり、戦時の基準による一人前の大人の男性像に当てはまらない人物が、人間外の存在である動物にされている。また、そうした男性としての基準から外れた存在が女性として表象されている。従来の研究でも、女性の語り手は男性のつくる社会への異議申し立てを行う存在とされてきた。この背景には、理想の男性像から外れた存在を表象する意図があったのである。 動物と女性を用いることによって、検閲の対象となることを回避しながら、戦時体制の中でもとりわけ徴兵制がつくり出す疎外の問題を語っていたのが中期の太宰作品だったのではないか。これは戦争への単純な賛否とも異なる問題である。この点は他の戦時作品を考える上でも重要な視点であると考える。
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