本年度は、前年度に引き続き、朝鮮における性科学の進展が日本と異なる原因を調査するために努めた。その結果、一本の論文が学術誌に掲載できた。 論文では、朝鮮と日本の検閲制度を比較し、検閲と性科学の相関関係を明確にした。1887年に改訂公布した新聞紙条例および出版条令は、1889年に公布した大日本帝国憲法に引き継がれ、以降、植民地朝鮮では日本の検閲制度に従って新聞や出版物を規制するようになった。検閲の基準になるのは、「治安妨害」と「風俗壊乱」であり、本稿ではとりわけ「風俗壊乱」を理由として発禁処分を受けた朝鮮と日本の資料を比較・対照した。 朝鮮総督府警務局が発行した『朝鮮総督府禁止単行本目録』と日本の内務省警報局が記録した『禁止単行本目録』を比較した結果、日本では発禁処分を受けていない書籍が、朝鮮へ輸入されるに当たって処分を受けたケースが多数見つかった。植民地の検閲当局は、内地より一層厳しく「風俗壊乱」図書の統制を図ったのだ。なによりも朝鮮で処分を受けた「風俗壊乱」図書の大多数が、大正時代と昭和初期を貫く性科学ブームの最中に出版されたものであり、日本は西洋から受け入れた性科学の文献と資料に負い、日本人の研究者による独自な性科学の研究に進むことができた。一方で、植民地の朝鮮では、海外につながる窓口であった日本から輸入された性に関する文献が極めて少なく、日本ほど性科学の言説を再生産したり、独自の研究に発展したりすることができなかった。『朝鮮総督府禁止単行本目録』に記録された朝鮮人が著した性科学の本がほぼ見当たらないことは、まさにこれを傍証する。このように本研究では、朝鮮と日本の検閲の記録を詳細に比較・対照し、性科学の輸入の過程を考察することで、その実態を分析した。
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