本研究の遂行に必要な調査の対象となっている西アフリカ域内でクーデタが相次ぎ、大統領選挙を控えていたセネガルにおいても政治的混乱が続いたことから、これらの国を訪れての調査が困難になった。このため当初の予定を変更し、「アフリカ」と「人種」概念の結びつきを体系化するのに大きな役割を果たしたパン・アフリカ主義運動における「人種」概念の用法に焦点をあてて分析を進めることとした。 なかでもパン・アフリカ主義運動初期にあたる19世紀前半から中ごろにかけて、シエラレオネとリベリアの建国や、これらの国とアフリカ・ディアスポラ・コミュニティとの関わりは興味深い。最終年度はマーカス・ガーヴェイやブーカー・T・ワシントンの「アフリカ」観がゴールド・コーストのケイスリー=ヘイフォードやコビナ・セキなどの知識人によってどのように受容されたのかの分析を試み、その一部を全米アフリカ学会で発表したほか、論文のかたちで出版準備中である。 とりわけ奴隷制廃止後の社会(ポストスレイバリー)における「アフリカ」観の形成という観点からの分析については、当該概念を用いた研究を進めているフランスの奴隷制国際研究センターのメンバーと議論を重ね、フランスの国立図書館でも資料収集を行ったほか、同センター発行の国際ジャーナルにおいて特集号を準備中である。 さらに2024年2月にはガーナにおいて調査を行い、上述の時代との比較対象として独立期のンクルマ政権下におけるW. E. B. デュボイスの招へいと、百科事典編纂プロジェクトに関する史料を国立公文書館と百科事典編纂事務局において収集し、分析を行った。
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