研究課題/領域番号 |
20K22031
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
吉川 和希 関西大学, 文学部, 助教 (60881464)
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研究期間 (年度) |
2020-09-11 – 2023-03-31
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キーワード | ベトナム東北地域 / 18~19世紀 / 社会変容 / 土司 |
研究実績の概要 |
東北地域のなかでも19世紀前半~半ばの諒山省・高平省に焦点を当てて地方支配の変遷を分析し,以下の事実を明らかにした。(1)明命年間の行政改革後も諒山省では人丁の把握が進んだとはいえず,さらに1850年代以降の武装集団の騒擾により阮朝の支配は危機的状況に陥った。かかる状況下で現地住民の中から旧土司が「ベトナム王朝に忠誠を尽くしてきた」存在として注目され,1850年代前半に諒山省・高平省では土司が復活した。(2)阮朝の立場に立てば,1850年代の諒山・高平二省における土司の復活は,形式上は平野部同様の官僚制と画一的な地方統治体制を維持しつつ武装集団の到来に対応したものであり,これによって平野部の王権と北部山地との関係性が変化したわけではなかった。(3)土司の側は,政治変動・社会変動の時代の中で土司の立場を利用してベトナム王朝との結びつきを強化することで,自身の生き残りをはかっていった。諒山・高平二省の土司集団が共にデルタ起源やベトナム王朝への貢献を主張する家譜を作成したのは,如上の歴史的背景により彼らがベトナム王朝との結びつきを自身の権威の源泉とみなすようになったためである。(4)ただし土司たちは当初から一貫してベトナム王朝の側に与していたわけではない。農文雲勢力が阮朝に反旗を翻した際,土司たちの対応は様々であり,最終的に阮朝が勝利したことで阮朝側に与した土司が勢力を保持・拡大した。(5)近年の研究では明命年間の行政改革後も山岳地帯の在地首長が阮朝やフランス植民地政府の地方統治を担い勢力を保持していたことが指摘されているが,少なくとも阮朝期の東北地域におけるこれらの首長集団は,いずれも阮朝の支配下に入ることで如上の政治変動・社会変動を乗り越えることができた一部の首長集団であることに注意する必要がある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナ禍により海外調査ができないため。
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今後の研究の推進方策 |
海外渡航が容易になり次第、ベトナムに渡航して史料調査をおこなう。また既収集史料の分析を進め、論文を執筆する。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ禍で海外での史料調査ができなかったため、旅費に割くことができなかった。次年度は可能な限り海外での史料調査をおこなう。
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