本研究では、昭和戦前期から終戦直後にかけての国立ハンセン病療養所における神職団体の慰問活動に関する資料を収集し、いわゆる国家神道の社会事業の性格について分析を進めた。 国立療養所大島青松園(香川県)、国立療養所菊池恵楓園(熊本県)、国立療養所邑久光明園(岡山県)、金光教教学研究所(岡山県)において療養所所蔵文書、入所者自治会保管日誌、宗教団体所蔵資料を閲覧、写真撮影をし、地元神職団体の活動実態の把握を試みた。 その結果、香川県神職会による同園の慰問活動は、戦前は同神職会会長、副会長、地元支部の神職が訪問して病気平癒祈願祭を執り行っていたが、戦後は慰霊祭という名で地元支部の神職のみが訪問するかたちになっており、戦前と戦後とでは慰問活動の質的変化がみられることがわかった。また、国立療養所菊池恵楓園の資料調査では、皇太后下賜金の使途に関する通達文、社殿建築の入札書類、御神体授受の領収書などの存在から、同園の神社創建は地元神職団体の慰問活動や入所者側の要望ではなく、療養所と管轄県が主導して進められていたことが判明した。一方、国立療養所邑久光明園での資料調査では、所内神社は慰問活動をしていた講談師の手引きにより京都救らいの会を通して建立されたことが判明した。そして、京都府立京都学・歴彩館において同会に関する資料調査を行った結果、同会は京都府宗教連盟による社会事業の一環として昭和26年末に結成された団体であり、会長に八坂神社宮司高原美忠氏が就任し、京都府内の宗教系大学を中心にした救らいのボランティア学生団体とともに活動していたことがわかった。 以上から、戦前の国立ハンセン病療養所の神社および神職団体の慰問活動には、1)地元神職団体の主導、2)療養所および地元行政(県)の主導、3)入所者(自治会)側の主導、の3つの方向が存在することが判明した。これらについて適宜、学会発表を行った。
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