本研究は、1990年代の太平洋炭砿(1920-2002年)の採炭現場を対象とし、日本石炭産業の最終局面における炭鉱労働のありようの解明を企図するものである。2022年度は以下の2点の課題に取り組んだ。 第一に、1990年代の太平洋炭砿の採炭現場における労働態様の記述の補完をおこなった。本研究課題の開始以来、コロナ禍のため、釧路での関係者への聞き取り調査を実施できずにいた。労働態様については、いったんは既存のデータと資料をもとに整理したが、本年度に、あらためて本研究課題の申請時に計画していた聞き取り調査を不完全ながらおこない、前年度にとりまとめた内容の補完に取り組んだ。それにより、生産職場の人間関係の解明など、生産職場を記述するうえでの残された課題も浮き彫りになった。 第二に、同時代の太平洋炭砿とは異なる生産技術で稼働していた炭鉱の生産職場について調査を実施した。本研究課題では、1990年代の太平洋炭砿を日本石炭産業の技術的到達点と位置付けたが、同時代にはそれとは全く異なるプリミティブな生産技術を採用して安定的な出炭を続けていた炭鉱が存在した。それは稼行対象炭層の賦存状況という自然条件によった。太平洋炭砿の稼行対象炭層は緩傾斜であり、機械化に適していたが、三井芦別炭鉱では急傾斜であり、機械化が困難で、1990年代においても木枠と発破による「欠口採炭」という方式で採炭をおこなっていた。本研究課題は、主要には機械化採炭を対象として日本石炭産業の最終局面の生産職場の様相を明らかにすることを目的としているが、その参照軸として急傾斜の炭鉱の生産職場についても調査を実施した。それによって、1990年代の太平洋炭砿の生産職場が装置化・平準化という言葉によって特徴づけられることが、より明確になった。
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