研究課題/領域番号 |
21320160
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研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
吉成 直樹 法政大学, 沖縄文化研究所, 教授 (80158485)
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研究分担者 |
永瀬 克己 法政大学, デザイン工学部, 教授 (30061237)
間宮 厚司 法政大学, 文学部, 教授 (30199913)
中本 謙 琉球大学, 教育学部, 准教授 (10381196)
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キーワード | グスク時代 / 大型グスク / 久米島 / 琉球語 / 集落空間構成 / 宮古諸島 / 貝器 |
研究概要 |
1久米島ではグスク時代の開始期の指標となるカムィ焼の出土遺跡はきわめて乏しく、出土する場合でも貝塚時代の終末期に使用されたくびれ平底土器と共伴する事実が明らかになった。この事実は、要塞型の大型グスクが建造されるに至る前段階を欠き、突如として大型グスク建造の時代を迎えたことを意味する。この事実は、久米島の大型グスクの建造にあたって外来者が関与した可能性を視野に入れる必要があることを示す。 2久米島のヤコウガイ大量出土遺跡群は、ほぼ古墳時代並行期までの遺跡であり、グスク時代開始期まで続く奄美大島より早く終焉を迎えており、グスク時代開始期には沖縄諸島の貝交易は衰退しており、社会的に停滞していたことと示す。 3宮古諸島以南にしか分布していないと考えられていた貝斧、シェルデスクは沖縄諸島にも到達しており、貝塚時代に南琉球から北琉球に北上する文化の流れが存在した可能性が高い。 4日本語の一方言が九州南部・西部地域から奄美諸島に南下した時期は、南九州に関連する史料、考古学資料からみて八~九世紀以降であり、沖縄諸島以南では、さらに遅れてグスク時代開始期以降との見通しを得た。また、現在まで残存するハ行子音p音に関して、喜界島と宮古島で調査を行った。F>pと逆に変化した事例を収集するとともに、琉球弧において接触した言語(南島語)の影響によってp>Fの変化が妨げられた可能性があることが明らかになった。 5宮古諸島の池間島、伊良部島の集落空問構成、民家の空間構成は琉球型の形式のみによって構成されており、分布論的に、宮古諸島の琉球的な空間構成は1500年に宮古、人重山が琉球国の支配下に入った以後に導入されたと考えられる。
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