研究課題/領域番号 |
21330140
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研究機関 | 明治学院大学 |
研究代表者 |
岡本 多喜子 明治学院大学, 社会学部, 教授 (20142648)
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研究分担者 |
中村 律子 法政大学, 公私立大学の部局等, 教授 (00172461)
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研究期間 (年度) |
2009-04-01 – 2014-03-31
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キーワード | 高齢者福祉 / 処遇史 / 養老院 / 社会事業史 / 孤児院 |
研究概要 |
これまでに資料を収集させていただいた施設の他に、新たに博多老人ホーム(福岡養老院)から資料があるとの連絡を受け、資料の収集を行った。神戸老人ホームについては追加の資料収集を実施した。また札幌慈啓会、小樽育成院、府中静和寮、報恩積善会に対しては、収集した資料をPDFファイルなどに加工し、コンパクトハードディスクへ保存し、今後各施設でも使用できるようにして渡した。 浴風会の利用者資料の収集は継続して実施し、さらに約500名分の個人記録(要救護調書・保護経過・死亡診断書・遺物一覧など)をデジタルカメラで撮影し、印刷・整理を行っている。さらに創設から年代ごとに処遇記録が比較的多く残っているケースの読みお越し作業と各記録の分析を行った。全体で47ケースが文字校正も含めて完成した。その中から長期にわたる記録がなされていた認知症のケースについて、処遇を中心とした論文を作成した。 また、小樽育成院の前身である小樽孤児院の記録も残っている。そこで、1898(明治31)年の小樽育成院の成立から1947(昭和22)年に孤児院を廃止し養老院のみとするに至る、50年の歴史を閉じるまでの孤児院時代の入所者記録から論文を作成した。 日本の各地からの利用者記録、事業日誌などが11施設分収集できたことで、1930年代後半から敗戦後の1957年頃までの状況を、横断的に分析・検討することが可能となった。その結果、戦中の食料がまだ入手できていた時代からほとんど入手できなくなり、戦後の食糧難の時代の状況、ララ物資が届くことによる変化、空襲による被害などを各施設毎に検討し、地域間比較が可能となった。物のない時代には、寄付も集まらず、野山の食べられる草や果実を活用しての生活を送っていたことが明らかにされた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
当初は日本国内に存在する戦前期の資料を保存している養護老人ホームのうち、資料の閲覧・収集を承諾していただいていた18施設のすべてを、今回の研究対象としていた。しかし実際に資料のデジタルカメラでの撮影やコピーをした資料のPDF化、それらの整理には多くの時間を要した。そのため、今回は全11施設に限定をせざる得なかった。さらに浴風会の資料をはじめ、旧字体で書かれた資料の解読が難しく、内容を正確に読み取り、理解することに多くの時間を取られる現実があった。 また、戦中・戦後の養老院・養老施設の生活をご存知の方々へのヒヤリングは、府中静和寮の大橋元施設長、福生会の中辻元会長、報恩積善会の田淵施設長、阿部睦会の阿部会長、緑ヶ丘老人ホームの稗田元施設長の5名にはお話しを伺うことができたが、他の方々には双方の日程調整が難しく、お聞きできないでいる。お聞きできた方のなかにも、高齢のために記憶が明確でなくなった方、認知症で特定の出来事以外は思い出せない方もいた。この研究は急いで実施する必要性を強く感じている。
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今後の研究の推進方策 |
今回の科研費は2015年度で終了する。そのため今年度は浴風会の事例の読み起しとそこから明らかになる処遇の変遷を検討することを中心として研究を進める。関東大震災の被災者が中心であった初期から、方面委員が地域の貧困高齢者を紹介する形で浴風会に入所するようになる救護法実施期、その後には救護法による措置ではなく、自由契約の自費入所の方々までの入所者の変化と時代背景を検討していく。さらにこれまで収集した各施設の資料の整理・分析を行う。そして2012年度までに収集した資料をPDFなどに加工してお返しできていない施設に対しては、順次ポータブルハードディスクに保存をして、お返ししていく。 これまでに資料の整理をしていく中で、養老院での余暇活動や娯楽についての実態、養老施設の処遇における小沢一の影響、浴風会の設計理念がどの国からの影響をうけていたのかの研究、戦前に浴風会に事務局を置いていた全国養老事業協会と韓国の養老院との関わりなどについても研究を進めていく予定である。 その受けで、最終年としてのまとめを行っていく。
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