皇子を出産するまでの儀礼とその室礼を、葬送儀礼では天皇の死後納棺から火葬にし、法要を行うまでのプロセスを具体例に基づき発表した。日中韓越との比較では、里での出産と宮殿での出産について国毎に違いがあったが、日本の事例のように詳しい記録が残っていないことが残念であった。祖先崇拝では、宗廟を持つ中国・朝鮮・越南に対し、日本では宗廟などの祖先を祀る施設は官殿内にない。ただ、祖先崇拝に繋がる儀式として、伊勢神宮への奉幣を行う「祈年穀奉幣」、祖先の墓廟に向かって祈る「四方拝」弊を捧げる「荷前」、そして、先祖ゆかりの寺院で行う「国忌」を取り上げ、その内容を具体的に論じた。建築との関わりで言うと、これらの儀礼は土間で行うのが原則で、清涼殿の石灰壇などにその伝統が受け継がれていることがわかる。 このほかに、古代の宮殿における屏風の使い方を『東大寺献物帳』に残る百帖屏風の記録から検討し、百畳の屏風が部屋の周囲を巡らす高さ5尺の染色の屏風と、座の背後を飾る大きめの絵を描いた10帖余りの屏風に分けられること、これらの屏風が奈良時代の官殿では正殿ではなく、生活空間の方で利用されていたことを明らかにした。日本建築学会のシンポジウムでの発表、「寝殿造と里内裏」は宮殿儀式の観点から、寝殿造の成立と里内裏が存在できる理由を考察したものである。寝殿造が宮殿儀式を補完するために内裏を手本にして成立したこと、宮殿儀式の会場が10世紀以降天皇の住まいである内裏に収斂していったことを明らかにした上で、この二つの理由で、本来貴族住宅として建てられた寝殿造が官殿の代用である里内裏として利用できたことを述べた。
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