1. スロヴェニアにおける調査。ポストイナにおいてムージルが滞在した家屋、部屋を確定。小品「スロヴェニアの葬式」に描かれた、クリスマス直前に亡くなった斜め向かいの女性の氏名、死因も地区教会で突き止めた。コバリドの一次世界大戦博物館で各種資料を収集「スロヴェニアの村の葬式」の画期的な解釈を得た。これは著書『Robert Musil und der Genius Loci』の一章として発表される。 2. ローマにおいては、カヴール通り144-146番のマルコヴァルデイ家、サン・スピーリト病院等を訪れた。離婚前のマルタ(のちのムージル夫人)がかなりの資産家であったことが分かる。サン・スピーリトは伝統ある修道院で、附属の病院は今日も救急病院として稼働している。しかしキリノ・セルジ一家の人類学研究所は、ローマ大学に照会しても突き止めることができなかった。 3. ギョール(ハンガリー)のベネディクト修道院においそ調査。Konkordat(ヴァティカンとハンガリーとの協定)により、ハンガリーのカトリックが独自性を保持したことが分かった。マルタが前夫マルコヴァルディと離婚するためにブダペストで新教に改宗した状況があきらかになった。 4. ウィーンの軍事博物館で第一次世界大戦中のムージルの従軍記録を調査。さらにウィーンのCsaky博士からムージルの家系、および祖父マティアス(軍医)について貴重な情報を得た。それにより16世起から現代に至るムージルの最新の家系図を作成することができた。これは著書の第1章に発表される。 5. ドイツ語ホームページの拡充はいったん停止している。クラーゲンフルトのムージル文学館のW・ファンタ博士より、ムージルの初版版の公開はローヴォルト出版社の認可が必要であると指摘され、ローヴォルト出版社に照会した。「研究論文の一部として図版を用いるならば可」との返答であった。したがって「ムージルの作品の初版について」という論文を書いて、そこに図版を収録する必要がある。次年度の課題である。
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