調査経過5月7日~10日にロシア科学アカデミー極東支部歴史学民族学考古学研究所(以下、研究所と略す)博物館長のニキーチン氏を招へいし、青山学院大学の教室を借用して「2009年度調査の概要報告と2010年度調査について」と題する研究会を開催した。9月5日~8日にウラジオストクで開催されたクラスキノ城跡発掘30周年記念シンポジウムに小嶋芳孝が参加し、「渤海の交通路」について報告。9月9日~19日に、中澤寛将、福永徹と合流してニキーチン館長らと共にウスリー河流域の遺跡踏査を実施した。2月10日~17日にかけて、小嶋芳孝がウラジオストクとノヴォシビルスクのロシア科学アカデミーシベリア支部を訪問。ノヴォシビルスクには、研究所からイブリエフ副所長、ニキーチン館長、研究生のE.ニキーチン、テレリュエフの四名が同行した。3月20日~24日にかけて、小嶋芳孝と中村晋也(金沢学院大学准教授)がウラジオストクの研究所を訪問して資料調査を行った。 調査成果6月の研究会では、ラズドリナヤ河流域に分布する遺跡の状況について報告検討を行った。9月のウスリー河流域とイマン川流域の遺跡踏査では、約20ヵ所の遺跡を踏査した。踏査した山城や平地域の多くは渤海末期の10世紀代に造営が始まっており、渤海滅亡前後にこの地域で社会的な変動のあったことを想定できる。また、今回の踏査でウスリー川流域の谷平野からカヴァレロヴォやダルニエゴルスクへ至る谷筋にチュグエフカ城跡やコクシャロフカ2遺跡などの大型平地域が造営されていることがわかり、両遺跡が交通の要衝に立地していることに気づいた。イマン川流域では予想以上に遺跡が多く分布していた。ニキーチン氏によると、イマン川の北方にあるビキン川流域では遺跡数が少なくなっており、ラズドリナヤ河からイマン川の間が一つの領域として設定できるようである。2月のノヴォシビルスクでの調査は、シベリア支部が1980年代以前に調査した沿海地方のボリソフカ遺跡などの渤海遺跡から出土した遺物を中心に調査した。3月のウラジオストクでの調査は、9月の調査で採集した遺物の実測と写真撮影を実施した、また、極東大単博物館が所蔵するアプリコス寺院出十の遺物も、実測・撮影を行った。
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