本年は、被災2年目におけるチャン族と羌文化の復興と再建の状況について、中央および地方の各級政府や知識人の側と、一般住民側であるチャン族や漢族の間におけるせめぎあいのなかで、民族文化がどのように利用され、資源化、統一化、商品化されようとしているのか、調査、考察した。 事例としたのは、北川羌族自治県の新しい吉娜羌寨、および旧県城と新県城を結ぶ沿線上の漢族の村である。吉娜羌寨は、伝統的な羌文化を表すチャン族の村として中央および県政府によって鳴り物入りで建設されたが、実はもともと人口の80%を漢族が占める村であり、チャン族は外部から嫁いできたチャン族女性で、彼女たち自身もすでに羌文化に対してはほとんど記憶を持っていなかった。北川のチャン族は、多くが1980年代に漢族からチャン族に民族回復した人々であったからである。そのため、吉娜羌寨は、外観は羌寨風であるが、中身はほとんど羌文化を知らない、あるいはあまり興味もないモデル羌寨となってしまった。旧県城の地震遺跡がまだ未公開であることもあって、現在、観光客はほとんど訪れる事がなく、成人の多くは生計を立てるために出稼ぎに出ており、村は老人ばかりで閑散としている。また旧県城と新県城を結ぶ沿線は、地震遺跡を目玉とした「黒色観光ルート」として、さらにチャン族風の村に外観を作り変えて民族観光としても売りだそうとしているが、現状ではまだ効果がみえない。このような民族自治県における民族文化保護の様々な試みは、一方で民族地区における漢族の問題として、様々な問題を提起しているといえる。
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