研究課題/領域番号 |
21402008
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応募区分 | 海外学術 |
研究機関 | 茨城大学 |
研究代表者 |
青山 和夫 茨城大学, 人文学部, 教授 (70292464)
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研究期間 (年度) |
2009-04-01 – 2014-03-31
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キーワード | 国際研究者交流 / 考古学 / 先史学 / 文化人類学 / 多国籍 / マヤ文明 / セイバル遺跡 / メソアメリカ |
研究概要 |
中米グアテマラ共和国に立地する、マヤ文明のセイバル遺跡の神殿ピラミッド跡と王宮の建造物跡などの層位的発掘調査と出土遺物の分析を行った。昨年度に引き続き、セイバル遺跡の「グループA」を調査すると共に、今年度は「グループD」においても発掘調査を実施した。さらに遺跡中心部だけでなく、遺跡周辺部においても発掘調査も行った。その結果、先古典期中期のマヤ文明の起源に関する重要な考古資料を得ることができた。セイバル遺跡の神殿ピラミッドの発掘では、前1000年頃の最古の公共建造物を検出し、10世紀に至る建造物の増改築を確認した。セイバル遺跡の大規模で精密な層位的な発掘調査および豊富な試料の14C年代による詳細な編年の結果、マヤ文明の起源を考える上で重要な定型化された公共祭祀建築は、従来の学説よりも200年ほど早く、前1000年頃から建設されたことが明らかになった。先古典期後期の2世紀頃、マヤ低地南部の一部の大都市が衰退したが、セイバルは衰退せず、繁栄し続けた。しかし、セイバルは5世紀に一時的に衰退した。セイバルは7世紀に再興し、2回目の繁栄期を迎える。セイバルでは、マヤ低地南部の諸都市が9世紀に衰退する中でパシオン川流域最大の都市として大建造物が増改築され、素晴らしい石碑が建立され続けた。セイバル王朝の最後は、暴力を伴った。発掘調査によって、10世紀に王宮が破壊され、火をかけられたことがわかった。しかも王宮を飾った漆喰彫刻の男性像の首が儀礼的に切られていた。王宮では,破壊儀礼が行われたのである。研究協力者(海外共同研究)と協力して、土器、石器、その他の遺物の全ての出土遺物を分析対象とした。セイバル遺跡から出土した石器の製作技術・工程に関する属性分析を行い、主要な石器の写真撮影を行った。さらに石器の分析データをコンピュータに入力してデータベース化した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
H23年度には、当初計画で期待したよりも1年早く、セイバル遺跡の発掘調査を完了し、セイバル遺跡におけるマヤ文明の政治経済組織の通時的変化(前1000年から10世紀)について見通しを立てることができた。
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今後の研究の推進方策 |
平成25年度は、遺物の詳細な分析を集中的に実施し、完了させる。
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