研究概要 |
本研究の目的は,まずイギリスにおける身体教育(physical education)の用語出現の民衆教育草創期(1830年代から1840年代)に遡り,その概念や主要な身体運動文化である体操(gymnastics)の内容を明らかにすることであった。平成23年度は,特に1820年代後半のカール・フェルカー(Carl Vobelker)の体操内容に焦点を絞った研究を行った。ドイツ式体操(Gemlan style gymnastics)とその主たる実施場所のロンドン体操クラブが1826年に設立され,支部体操場があいついで拡充され,ロンドンにおいてその普及をはかられた痕跡を乏らえ直した。そこで実施されていたドイツ式体操の詳細が明らかになった。身体教育の原初形態は,1790年代のドイツ・シュネッペンタールの汎愛学校におけるグーツムーツ(Johann Cristoph Friedrich GutsMuths)の体育実践にまで遡る。当時の運動内容が再現されており,体操の文化的意義が確かめられた。 また,スイスからイギリスに移住したエドアルト・ビーバー(Eduard Biber)とカール・フェルカーの人脈も追跡調査から判明した。体操内容を正確に記述するため,ドイツ語による研究成果発表と論文執筆を行った。このようにカール/フェルカーの体操が,ペスタロッチー教育にゆかりのある人物から高い評価を受けていたことは,フェルカーの体操指導とその内容が新天地であるイギリスにおいて,民衆教育の体操実施のバックグラウンドであったとみなされる。その後の時代に,身体教育は,多くの教育論者や実践家によって継承されるが,明治期の日本においては,サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)の『自助論』(Self-Help)が中村正直によって『西國立志編』の訳本名称で翻訳出版されていた。それらに所収の身体教育論の内容とイギリス・スポーツの叙述が英語圏の身体教育論として明治期の日本においても紹介されており,体操の文化的意義の一端が明らかになった。
|