ブランデージ時代のオリンピック・ムーブメントの変容を「多様性に向けた変容」であると位置づけ、これをA.人種差別問題、B.女性の参画、C.自然環現保護問題、という3つの観点から明らかにすることを目的としている。研究全体の最終年度にあたる本年度は、初年度以降の分析を俯瞰し、考察を行った。 IOC関係会議議事録等の公刊された史料によれば、ブランデージ時代のIOCにとっての最大の課題の1つは、財的・人的理由によるオリンピック大会の規模縮小問題であった。一方、同時期の国際社会の状況を反映し、戦後のソ連・東欧諸国のスポーツ界における台頭、1960年代以降にアフリカ諸国の独立、女性のスポーツ参加の増大等の要因により、新たなNOCの加盟が増加するとともに、IFからは大会種目の増加要請がなされた。これらは、上述のIOCの課題と完全に矛盾していた。議事録からは、IOC理事会が強力に主導することによって、ようやくバランスが維持されたていた状況がうかがえた。非公刊史料からは、特に女性競技種目の増加に、当時のIOC中枢メンバーのジェンダー規範が根強く影響した一方で、IFやNOCの中には女性の参加を積極的に擁護する動きが見られたことも明らかになった。1970年前後には、IFの要請を抑え続けることは、「あらゆる差別のないオリンピック」を実現不可能にするという、IOCの組織的自覚が促され、「オリンピック競技の基準」を設けることが検討された。この検討とはすなわち、ブランデージ時代の社会におけるムーブメントの理念を見直すことでもあった。基準の実質的明示はキラニン時代を待つこととなったが、70年代以降は、この模索の中で、女性に対する差別もなくさなければならないという論理的転換がなされた。オリンピック・ムーブメントにおける大会規模縮小問題は、1984年ロサンゼルス五輪以降の商業主義化以降の拡大路線との対比において、先行研究も指摘してきた。しかし、この問題がIOC内部にムーブメントの理念とそれを外的に表明するための競技の基準設定という動きをもたらし、その基準が女性の参加を阻む論理と矛盾することが露呈したがために、女性の参加が拡大、ひいては多様化に結びついたという指摘はなされてこなかった。本研究の成果は、この点に意義を有する。
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