研究概要 |
デューラーの『計測法教程』はラテン語に訳され(1532),ケプラーやクラヴィウスなど学者達に広範に普及しデューラーは幾何学者と見なされるようになったが,当時の学術の中心地イタリアにおいてそのラテン語版が新たな展開をすることが指摘できる.バルバロ(1568),ウィトリウィウス(1567)などはほぼ同じ図版を採用している.またコジモ・バルトリ(1503-72)はフィレンツェで本書をラテン語からイタリア語に翻訳し(1537),それが今日レニングラードに保存され現存する.これは手稿のままであり,どれほどの影響を及ぼしたかはわからないが,俗語しか知らない当時の芸術家用に役立つ幾何学書のモデルとして重要視されていたことがうかがえる.さらにバルトリは自著『計測法』(1559)にこれを利用している. デューラーは本書で器具をいくつか図版と共に紹介している.その多くはそれ以前には見られないものであり,現在のところデューラー考案と考えてよいであろう.しかしそれらがイタリアで影響を与えた様子はほとんど見られない.それは本書が当地では幾何学書として捉えられ,実践的器具の書とは見なされなかったからであろう.実際当時の科学器具作製の中心地ウルビーノにおいてもデューラーの影響はさほど見られない.他方で彼の仕事は芸術家の間でフィレンツェやボローニャで評価された. デューラーのとりわけ円錐曲線の作図法はもっとも特異であり,少なからずの影響を与えたことはその図版の採用からうかがえる.しかしその後の古代ギリシャのアポロニオス『円錐曲線論』の復興により,デューラーの概略的作図法はすぐさま廃れ,新たな円錐曲線の作図器具が考案されるようになった.こうしてデューラーの影響は多大ではあったがそれは短期間であった.
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