本年度の研究実施計画にしたがって、以下において実績の概要を示す。 (1)植民地期朝鮮の疾病構造変化を把握するのに必要となる資料として、総督府の統計資料、各道、警察の衛生統計など、現在入手しうる資料を収集整理した。また、植民地期の医療の多様性について、正統医療はもちろんのこと、電気医術など、当時の流行も含めて、広告資料も収集し、その実態をつかむことができた。とくに京城など都市部と農村部には西洋医療アクセスに大きな格差が存在し、農村部での医療を担っていたのは、伝統医療であるが、漢医自体も不足していたため、家庭薬や巫俗が普及していた。ただし、ここでも必ずしも農村部で巫俗が一般化していたわけではなく、経済力のない家庭は巫俗にもアクセスできなかった。 (2)既に2010年の共編著『帝国の視角/死角』(青弓社)所収の論文「植民地衛生学に包摂されない朝鮮人」という論文にて、本研究の核心部分は発表した。2012年に入ったが、5月11日、12日にシカゴ大学で開催された第10回シカゴ日本会議にて、伝統医学のネットワークに関する発表を行い、これはSocial History of Medicineに掲載される予定である。 (3)植民地期朝鮮人の治療選択の大きな背景には、都市部と農村部における西洋医療機関の配置格差がある。その上で、農村部において西洋医学を選択しなかったのは、経済的問題よりも、一つは日本語リテラシーの問題がある。各種農村での衛生調査によれば、日本語を理解しない人々は西洋医療の経験がない。一方、都市部の朝鮮人医師のもとには朝鮮人の患者が集まっているが、こちらは近代的な衛生観念が内面化していた人々である。「植民地性」の問題は、こうした「内地」と異なる特徴から推測していくことになるだろう。
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