研究期間最終年度の活動概要及び成果は以下である。 (1)田中久重文書にみる明治初期の電気工場 平成22年度に続き田中久重の『明治7年諸日記』、『明治8年電信寮註文記』、『明治九年一月ヨリ日記』を精査し、製作物、職人、材料入手先等について考察し、明治初期の電気工場の実態を把握した。 2)絶縁電線や電気治療器等の電気関連器物の製作者 絶縁電線、電気治療器や実験器械器具とその製作者及び工場について調査し、1)項の成果を含めて電気技術黎明期の国産化に果たした役割について考察した。明治20年頃までの電気技術は産業化が始まったばかりの新しい技術であったため、国産化を現場で最初に手がけた職工は元鍛冶屋や時計師であり、ついで工部省製機所、田中製作所や三吉工場などが電気系エンジニアの揺籃となった。発展初期の段階に於いては、電磁石と時計機構を応用したメカニズムが電信機、人呼器械やアーク灯などの主要な技術であり、伝統的な技術を身につけた時計師にとっても、電信機等の製作は乗り越えられる課題であった。しかし電信に使用されるリレーや電気器械の磁気材料の国産化は難しく、特に高い絶縁性が要求される海底ケーブルなどは明治時代を通じて国産化が困難であった。これらの国産化には材料の研究開発が新たに必要とされたからである。 一方調査の過程から工部大学校や電信寮を中心とする工学系と、東京大学を中心とする理学系の両者間では学術的交流がほとんど無いだけではなく、工場も電信・電力系と理科教育機器系では異なっており、また距離的にも離れていた。これらの断絶が材料科学の基礎を必要とする次の発展の障害となっていたことが判明した。 3)研究発表 上記項目1)及び平成22年度の『明治6年電信機製造帳』と上記項目2)から得られた知見を元に、技術導入初期に伝統技術が果たした役割と限界について、電気学会電気技術史研究会に於いて、『電気技術導入初期における伝統技術者の役割と限界に関する一考察-電信機と被覆電線の事例を中心に-』として発表した。
|