三年計画の中の初年度調査を周防灘に面した防府平野および佐波川流域を対象として行った。本年度前半期にはおもに明治時代後半に測図された旧版2万分の1地形図を用いて、佐波川流域の荒地(実際には草地を多く含む)の分布計測作業および近世期絵図の判読を行った。それらによると、平野部を除く佐波川流域の半分以上が荒地によって占められ、とくに粗粒花崗岩地域では崩土・崩壊地の分布とも重なることが分かった。近世末に作られた絵図等の描画も、当時、流域の植生が密ではなく、山地のかなりが「禿げていた」ことを示している。洪水履歴とも合わせ、かつて流域の土砂供給は現在より盛んであったものと見られる。本年度後半期には、下流防府平野の、近世初期、近世末、戦後に開かれた干拓地3ヶ所において、沖積層基底砂礫に達する深さ11メートルまでの試錐を業者委託で行い、堆積物の予備的な岩石・鉱物組成分析、貝化石の年代測定を行った。その結果、いずれも砂質堆積物が地表から6m前後の厚さを占め、粘土層が比較的に薄いことが分かった。砂層に含まれる貝化石・木片のAMS年代測定結果によれば、表層数mの年代値が新しく、とりわけ戦後に造成された干拓地では表層4mほどの堆積物中の貝化石年代(7点)が、とりあえずは中世から近世初頭、さらにはAMS測定の新しい年代側の測定限界を越える値を示した。これらの結果は、防府平野が、時代を追うにつれ、その量を増した流域の土砂供給を背景に拡大し、かつ干拓が繰り返されたことを示唆する。
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