【中亜調査】1949年中華人民共和国が新疆を実効支配するようになると、多くのウイグル人が旧ソ連圏に移民や亡命をする一方で、共産主義に疑問を抱く人々は、天山を越えインド(現パキスタン)を経由し、トルコやサウジアラビアに亡命した。当初、本年はサウジにあるウイグル人移民者集落で聴取りを行う予定で手を尽くしたが、非ムスリム女性が同国で自由に調査するのは不可能であり、新疆に最も近く、域外最大のウイグル人人口を持つ中央アジアに於いて、2009年に続いて再調査する方が有意義だと決断した。中亜ではウイグル人組織の刊行物を長年研究している老齢のカザフスタンアカデミー、タタール人教授ムニール・イェリズィン氏の助言を得た。氏本人も新疆からの移民者で、1940年代東トルキスタン共和国の時代には、三区官報紙記者を勤めた歴史証言者でもある。この時代の資料は、新疆文史資料にせよエイサ・アフプテキンらウイグル人独立運動家の伝記にせよ、政治的バイアスが掛かった文献は存在するが、比較的客観的な学者の生の証言に触れたのは私にとってこれが初めてであり、氏の口述を長時間にわたって録音収集できたのは貴重であった。 【台湾調査】中央アジアでは亡命・移民者の口述や回想、刊行物は入手できたが、公文書の閲覧には辿り着けなかった。中華人民共和国は民族問題に関する文書を封印しており、また現時点で旧ソ連圏のアーカイブスから、新疆からの移民者資料は探し出せていない。だが台湾中央研究院近代史研究所及び国史館に保存されている中華民国政府文書の中に、「1950~60年代ウイグル人難民に関するファイル」が存在すると分かり、本年度はさらに台湾での資料収集を試みた。 中華民国(在台湾)政府は、国民政府と共に台湾へ渡ったヨロワスらウイグル人政府官僚の働きかけから、インドへ渡ったウイグル人難民への支援に乗り出し、国連を通じて各国政府に難民受入れを呼びかけた。また経費を捻出し、亡命者の衣食住を保障するため尽力していたことが今回の調査で初めて分かった。
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