本研究の遂行によって明らかになった成果は次の通りである。神を至高のもの、「永遠の現在」として意識し、同時にその神をなお認識しえていないものとして捉ええたとき、意識それ自身が「人間理性」として生まれ、そこに自らの「理性」への、そして「神」への新たな哲学の問いが始まる。このことが一層明確な形で哲学の課題として提起されるのが、実は近代においてのことであり、とりわけドイツ観念論においてのことであった。それは何よりもこ近代以降理性が、己れ自身に対する懐疑を決定的に必須のものと理解するからである。つまり、自分で自分を意識する自己意識的存在者である個々人が、確実なものを求めて懐疑し、それを通して新たな自己を生み出し、実現していくのである。ここに「神」の問題が人間の主観性及び自由の問題と密接に連関していることが明瞭になる。神の理性的理解の可能性への問いが、人間理性の自由の可能性と結びつき、その可能性を開くのだと言ってもよい。本研究では、こうした連関をドイツ観念論における「良心」概念の分析と解釈を通して明らかにした。「良心」こそは、私のものでありながら、同時に私を越えたものであり、そのあり方の分析(具体的にはカントやフィヒテ、ヘーゲルなどにおける良心に関する論述の解釈)を通して、神概念と主観性概念の根源的な関係性が明らかになった。 なお、本年度は、東日本大震災という大惨事に関連して、本研究課題の現代的意義を問い直す作業を行い、共編著書を刊行することで一定の成果を上げることができた。
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