神を至高のもの、「永遠の現在」として意識し、同時にその神をなお認識しえていないものとして捉ええたとき、意識それ自身が「人間理性」として生まれ、そこに自らの「理性」への、そして「神」への新たな哲学の問いが始まる。それは何よりも近代以降理性が、己れ自身に対する懐疑を決定的に必須のものと理解するからである。ここに「神」の問題が人間の主観性及び自由の問題と密接に連関していることが明瞭になる。神の理性的理解の可能性への問いが、人間理性の自由の可能性と結びつき、その可能性を開くのである。本研究はこうした連関をドイツ観念論における「良心」概念の分析と解釈を通して明らかにした。
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