プラトンの対話篇『ゴルギアス』と『ソクラテスの弁明』において、ソクラテスは知の所有者であることを否認する(いわゆる「無知の自覚」の表明)とともに、じぶんこそが真実(alethe)を語る者であると断言している。本研究は、この知と真理(alethe)をめぐる否認と断言という事柄が互いにどのようにかかわり合っているのかを明らかにし、そこに見出される真理の捉え方が『パイドン』における想起説と通底しているという仮説を論証することを目的としている。具体的には、つぎの二つの仮説の論証を目指している。1、本研究は、ソクラテスが知の所有を否認することと、真実(alethe)を語る者であると断言することとは、同じ一つのことの二つの面であると主張する。しかも、その知はもちろん、ソクラテスが語る真実もたんなる「経験的確信」ではなく、普遍的な真理(alethe)とつながっているものであることを論証しようと企図している。2、本研究は、『ゴルギアス』においてソクラテスの対話は極限までにつきつめられてはいるものの、破たんはしておらず、むしろそのぎりぎりの場面においてソクラテスの対話における「真理」が提示されていると考えている。そして、その真理は『ソクラテスの弁明』での「知」と重なりあうものであることを明らかにしたうえで、それが『パイドン』における想起説と通底しているという仮説を論証する。平成21年度においては『ゴルギアス』の分析が本研究計画であった。この対話篇に関する『ギリシア哲学セミナー論集Vol.VI』(2009)への研究成果発表を基盤として、つぎの三点から分析を行った。1ソクフテスの議論の構造、2多義的と見える「真理」の用例の検討、3論理的な真理とは異なった「真理」をめぐる倫理学的な検討。とりわけ、『ゴルギアス』第二部のポロスとの対話における歪みについて新たな知見を得た。その成果は次年度に発表する予定である。
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