プラトンの対話篇『ゴルギアス』と『ソクラテスの弁明』において、ソクラテスは知の所有者であることを否認する(「無知の自覚」)とともに、じぶんこそが真実(alethe)を語る者であると断言する。本研究は、この知と真理(alethe)をめぐる否認と断言が互いにどのようにかかわり合っているのかを明らかにし、そこに見出される真理の捉え方が『パイドン』における想起説と通底しているという仮説を論証することを目的としている。平成21年度においては『国家』と『弁明』を分析し、『国家』については日本西洋古典学会の欧文雑誌(JASCA)に、そして『弁明』については(前年度の『ゴルギアス』の分析と合わせて)『理想』(理想社686号)に、研究の成果を発表した。また、日本倫理学会での主題別討議(「道徳(徳)は教えうるか」)において、想起説をめぐる本研究の成果の一部を発表した。すなわち、想起とは失われてしまっているものへの回帰あるいは欠けているもの・不在であるものの発見である。それは、他方、過去を美化し聖域化し、そのように想起された事柄を共有する者たちの閉ざされた共同体を形作るという問題をはらんでいる。しかしソクラテス・プラトンの想起説は少なくとも、わたしたちの価値にかかわる思考には想起という、レトロスペクティヴな構造があるということを示している、と。ソクラテス・プラトンの知と徳の問題が形而上学的なあるいは超越的な世界と没交渉に理解されるとき、それは単なる個の内面的な涵養となり、習慣や性格という位相によって捉えられてしまうであろう。したがって、次年度においては、対話という共時的な営みと、イデア・想起説という超越との関わりについての分析が、研究の課題として視野に入ってくることとなった。
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