本年度前期は、ロックの「知覚表象説」的契機と「直接実在論」的契機との関係を再検討することによって、観念本来の自然主義的論理空間の重層構造を再確認することから研究を開始した。日常的に「物」と見なされているもの(経験的対象)の向こう側に新たな粒子仮説的な「物そのもの」を措定することによって、経験的対象は、心の内なる「観念」として、他のすでに「内的」とされてきたものとともに「心の中」に位置づけ直され、それによって、物そのもの/観念/心からなる三項関係的枠組みが構成される。この基本的な見方をより明確にするため、日常的にすでに「内的」とされているもの、例えば痛みの感覚や狭義の心像と、経験的対象が身分を代えて観念とみなされるようになったものとの関係を、明確に示すよう努めた。(これは、プラハのCharles大学James Hill教授の要請でもあった)。 本年度後期は、上の作業をさらに進めるとともに、研究代表者の見解を理解する上で一般の研究者にとってしばしば躓きの石となっているもの―すなわち、日常的な「物」を構成する要素的観念のうちからあるものを選んでそれらから新たな粒子仮説的「物そのもの」の「観念」を作るという研究代表者の言い回しが、物そのものと観念とを峻別するロックの基本的立場とどう整合するかという問題―について、その答えを明晰に示す方途を探った。ロックが「観念」を広狭二義に用い、「物そのもの」ですら「観念」とする場合があることをどのように捉えるかという、これまで指摘されながらも十分に検討されてこなかった問題が、ここではとりわけ重要な問題となり、「志向性」の概念をも念頭に置いて、この問題の解明に努めた。
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